大夕張の気温 | 高橋正朝 #162
〘 明石橋の上からシューパロ川 〙と題した、飯田さんが撮った、キレイな美しい紅葉の写真が、2023年09月09日付けで投稿されていました。 ホントに美しい。
私が大夕張にいたころは、9月の中旬になると、山は紅葉に彩られていた。
日本の気候が全体的にかわり、気温が上がった現在でも、大夕張の紅葉時期はそれほどの変化はないのだろうか?
真冬の時期は、目を完全に閉じるのではなく、景色を見ることができないぐらいに薄目にすると、マツゲが一瞬くっついた寒さだったのは、皆さんご存知のとおり。
マツゲがくっつく時間は、一瞬なので、1秒もない。
しかし、無駄な意味のないことに努力するのが私の特色だから、何とか数秒間マツゲがくっつかないかと何十回と試してみたが、成功したことはない。
以前書いたことだが、私が3年間滞在していた大連は、大体―20℃ぐらいで―25℃になるのはあまりなかった。
この寒さを経験していなかった日本人は、骨身に凍みる寒さだと言っていた。 しかし、このぐらいの気温だと、マツゲはねっぱらなかった。
大連でのプロジェクトの一つに、食品工場があった。
そこの冷凍倉庫は、たしか、―40℃ぐらいであった。 その冷凍倉庫の試運転時には、10分間ぐらい入っていたが、マツゲはねっぱらなかった。 倉庫の中だったので、無風だったからかもしれない。
ビル管理の仕事をしていたとき、スーパーの魚の冷凍倉庫に入ったことがあったが、このときの庫温は、―40℃で、約10分間いたが、マツゲはねっぱらなかった。
アニキサスは、―20℃になると死亡するらしいが、冷凍倉庫の中の温度のムラ、及び物品の出し入れ時の扉の開放を考えての、―40℃の設定なのかもしれない。
大夕張の子ども時代のように、薄目にして、マツゲを一瞬ねっぱらし、目をあけてパチッとした感触を得たいと思うのだが、これを経験することは、これからの私の短い人生ではないだろう。
(2023年9月16日 記)
(筆者略歴)
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。
メール宛先:taka-jp@outlook.com (メール宛先変更になりました)
高校生の頃、井上陽水の『氷の世界』という曲が好きで聞いていた。
もちろんレコードからカセットテープに録音して、何度も繰り返し聞いた。
一人大夕張から都会に出て感じていた不安感、孤独感、そんな時期に聞いた曲だった。
その歌詞と何のつながりもないが、厳冬期、朝夕学校に通う大夕張の冬はまさに『マツゲがひっつくような』雪の世界というよりは氷の世界だった。
マツゲの先にのっかった雪、ヤッケに吹き付けられてカサカサと音を立てる雪。
そんな白一色の世界は思い出となり情緒的であり美しくはあるが、今の生活の中ではあまり味わいたくないものの一つとなった。