常盤町にあったクルミの木とオジギソウもしくはネムノキ 高橋正朝 #164
先週、岩田直彦さんが、〘 常盤町のクルミの木 2023年9月23日 記 〙で、常盤町エリアにあったクルミの木を図示してくれました。 これを読むまで、常盤町にクルミの木があったなんて、まったく知りませんでした。
私が見たクルミの木は、常盤町エリアでなく、常磐橋を渡って明石町へ行く坂を上る途中で、坂の頂上から30m ぐらい手前のシューパロ川の崖側でした。 ですから、その木が生っていた場所は、常盤町の炭住街エリアからは見えない場所でした。
崖といっても、そこは土肌は露出してなく、藪や雑木が茂っていました。 それで、クルミは、それらの雑木に視界がじゃまされ、見えにくかったので、気づいた者は少なかったと思います。
急勾配なので、その場所に立ち入る者は、面白半分であっても、周囲の遊び仲間にはいなかったので、余計目につかなかったと思う。
小学生の低学年のころは、藪や雑木の中に入って冒険ゴッコみたいなこともしたが、5年生ぐらいからそんなことはしなくなった。 私だけでなく、周囲の遊び仲間も同様だった。
ハッキリした理由があったわけではない。 ヒマな時間を他のことに費やすことになったからだ。 マンガ、チャンバラ、野球、テレビ ••••••。 もちろん、勉強に費やすなんてことはなかった ••••••。
名前は知らないが、小さなトゲが生えた草の実が、衣服、特にセーターにくっつき、それをひとつひとつ取り除くのが面倒くさくなったり、変な匂いの草の汁が服に染み込んだりするのがイヤになってきたこともあるようだ。
低学年のときには気にならなかったんだけどもネ ••••••。
岩田さんの少年時代に、当時の常盤町にあったかどうかわかりませんが、昭和33年ごろ、すなわち、私が鹿島東小学校の4年生ぐらいのとき、常盤町の炭住街の2軒のそれぞれの家の庭に、オジギソウ、もしくはネムノキが生っていました。
それぞれの場所に、オジギソウもしくはネムノキを教えてくれたのは、明石町に住んでいた同学年の男児だった。 例によって、名前も顔も思い出せない。
指でチョイと触ると葉が閉じる。 これが、私にはいたく気に入った。
下校時、時々このハッパにチョッカイだして、ハッパが閉じる様を楽しく見ていた。
常盤町のオジギソウもしくはネムノキについては、大夕張つれづれ #75 〘 下校途中の出来事 〙と# 76 〘 鹿島東小の運動会 〙で、若干触れている。
最初の項ではオジギソウと書き、次項ではネムノキに訂正したのですが、ウィキペディアの説明を読むと、オジギソウはハッパに触れるとすぐ閉じるが、ネムノキはそういう顕著な動作はしないようだ。
私自身が、鉱物・動物・植物などの博物的なものに、現在も少年時代も強い興味がなく、私の記憶の風化と相まって、当時、チョッカイを出した植物の正しい種類はわからないということになる。
そうはいうものの、私や遊び仲間がチョッカイを出していた植物は、どうも、オジギソウだった可能性が高いようだ。
オジギソウのハッパが閉じる顕著な様は、ウィキペディアに動画で出ています。 他の検索記事でも出てきます。
(2023年9月30日 記)
(筆者略歴)
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。
メール宛先:taka-jp@outlook.com (メール宛先変更になりました)
「冒険ごっこ」・・・ 懐かしい響きです。
山に入って・・・といっても完全に自分の家が見える範囲ですが、適当な場所を見つけて、朽ちた木々や笹を集め、自分の『基地づくり』をしたこともありました。それが、目的ではなく、ただ遊びの中でしていたことのほんの一つです。
無邪気に自然と戯れていたのは、小学生中学年の頃までの思い出ですね。