大夕張つれづれ■下校途中の出来事■|高橋正朝 #75

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 私が鹿島東小学校3年生か、4年生の天気のいい春のころ、もしかすると初夏のころだったかもしれない。学校の帰りに、クラスは違うが同学年の男児と一緒になった。

 彼の当時の顔はハッキリと覚えている。アンパンマンそっくりである。もちろん、アンパンマンなんてマンガは、当時はなかったが・・・・・・。名前はもう覚えていない。

 住んでいたのは、明石町の線路の山側、すなわち、後年の鹿島高校のすぐ下部にあった。彼は運動神経がよかったようである。

 当時、鹿島東小学校の体育館の片隅に、平均台が数台置かれてあった。競技用の平均台とは違うから、高さは50cmぐらい、長さは5mはあったろうと思う。私は休み時間に平均台に上がって歩いても、いつも半分ぐらいで落ちていた。平衡感覚はかなり劣っていた。

 鹿島東小学校から歩いて、鹿島橋を渡ったぐらいの所で、アンパンマンくんと出合って一緒に帰途につくことになった。

 常盤町から明石町の家に帰るときは、いつも同じ道を通ることはないが、だいたい、3ルートぐらいの行路だった。そのときは、オジギ草のある家の傍を通って、しばし、オジギ草にチョッカイ?をだしてから常盤橋を渡った。

 常盤橋を渡って坂道を歩いたのではなく、山側にある砕石の急な坂を登り始めた。この砕石のサイズはわりと細かく、その坂を登るときは砕石がくずれ、登っている本人は砕石とともにずり落ちるのである。

 そのずり落ちるスピードよりも早く上に登ればいいわけだが、なかなかそうはうまくいかない。アリジゴクの穴に落ちたアリの心境である。アリの心境と言っても単なる比喩だが・・・・・・。

 だいたいが、砕石があまりずり落ちない所を狙って登っていた。ここの砕石は、道路工事のときの残材だったのだろう。単に登るだけでなく、ときにはわざと砕石とともにずり落ちるのを楽しむこともあった。

 履いていた靴はゴム靴である。素足で履いていたから、砕石がゴム靴に入ってもあまり気にしていなかった。

 そこを登りきって、しばし常盤町を見まわし、それから左に向かって歩き始め、やがて明石橋にたどりつく。

 そのときのアンパンマンくんとの会話は覚えていないが、話の途中で、彼の平衡感覚の話で、明石橋の鉄柵の上部を歩ける、という話が出てきた。ハッキリとした記憶ではないが、明石橋の下の沢までは50m以上はあったと思う。

 足元が覚束ない高所では、私は今でもビビルのだが、アンパンマンくんは平気だったようだ。私はけしかけたわけではないが、突如、アンパンマンくんが、 橋の手すり上部のよじ上ったのである。ビックリした。

 手すりの天端はフラットではあるが、10cmの幅があったかどうか・・・・・・。そこを2mぐらい歩きはじめたところで、明石町からきた30歳ぐらいのオジさんが、「バカッ、降りろ」と怒鳴り、アンパンマンくんは飛び降りた。

 もちろん、明石橋側に飛び降りたのはいうまでもない。いや~、ビックリしたなぁ、あのときは・・・・・・。彼は、今、どうしているだろうか・・・・・・。


高橋 正朝 ( たかはし まさとも ) 2017/05/21 _ 09:02:00

昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住


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