1999年6月1日の大夕張|飯田雅人
2023-11-01
2024-04-23
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仕事の休みを利用して5才の娘を連れて大夕張に行きました。
明石町の高台の東高跡に行ってみました。かつての校庭に大きな水溜りができていて,おたまじゃくしがいっぱいいました。
蚊が飛び交い舞う中、子どもとオタマジャクシをすくってきました。童心にかえって、家で子どもと一緒に観察用です。その時、茶色い野うさぎが目の前を横切って行きました。
千年町・錦町のかつて大聖寺や営林署のあったあたりには,『土砂仮置場』の大きな看板が立ち,巨大な土砂の山が出現していました。
その異様な大きさは近々何らかの大規模な工事が始まることを予感させました。
せみや野鳥の鳴き声はいつもと変わらぬふるさとの声でした。
それとあまりにも対照的な巨大な人工物。
・・・・・・
鉱業所ゲート前にはよく手入れされた懐かしい型の三菱バスが一台止まっていました。5日の出発に向けて準備が進んでいるのですね。
三菱バスが南部の車両達とともに、南大夕張に落ちつくことができるよう心より願っています。
(1999年6月1日 記)
飯田さん
お世話になります。
拙文を書いて下アドレスに送信してみましたが送信なりませんでした。
iida@mata.biglobe.ne.jp
お手数をおかけしますが下記アドレスに空メールしていただけないでしょうか。
sone.yukio@snow.ocn.ne.jp
曽根幸夫
飯田雅人さんの投稿を見ました。
私は鹿島東小から鹿島中学校(昭和37年卒)鹿島東高校1年の時に大夕張を離れました。
「ふるさと大夕張」をよく見て懐かしんでおりました。しかし投稿はめっきり減って淋しい限りです。
山ブドウの投稿を見て一言投稿します。
、山ブドウは確かに酸っぱいですよね、でも松の木の近くのブドウはなぜか粒が少し大きく、酸っぱさも若干少なく甘いのです。
友達仲間の間では。それを「松ぶどう」と呼んでいましたよ。
今になって思うのは、松の木の「根っこ」はそのような作用があるのかも知れないとも…
因みに松茸は松の木のそばに、椎茸は椎の木からですよね。「松ぶどう」は富士見町の先、炭山駅寄りの方で運よく見つかるのでその辺を探し回ったものです。
後は「ござっぺ釣り」…思い出は尽きません。
曽根さん、いつもありがとうございます。
富士見町の先、炭山駅寄りの方の松
・・・下から上への坂道にそって炭山駅前の沢側に松の木がたくさん生えていましたね。
懐かしく思い出します。
そこにも「ぶどうの木」があったとは知りませんでした。
貴重なお話ありがとうございます。さっそく本編の方に掲載させてもらいます。
これからもよろしくお願いします。
コメントありがとうございました。うれしかったです。
私は各地を転々としたものですから同郷の人とのコネクションがあまりありません。
昨年11月4日初めて東京大夕張会に参加させていたきました。
同期に方、3名にお会いいたしました
本編の方に掲載させてもらいますとありましたが、本編掲載とはどのように閲覧できますか?
それと飯田雅人さんの連絡先(mailまたはtel)を教えてはいただけないものでしょうか?
プライバシーなど問題がなければですが…
なお私のmailは、yukio.sone@snow.ocn.ne.jpなのでご一報でもとも思います。
当時の住所は錦町2丁目2番1号でした。(現住所は千葉県大網白里市です)
曽根さん、コメント楽しく拝見しました。
文中、携帯の電話番号を書かれていましたが、念の為、メールアドレスに差し替えさせていただきました。
こんなご時世ですので、どんな輩が悪用するか分かりませんので、勝手ながら書き換えさせていただきました。(曽根さんのメールアドレスは、『ふるさと大夕張2丁目3番地』の管理者である自分にはわかるようになっています)
自分のメールアドレスは
iida@mata.biglobe.ne.jp
です。
携帯ももっていますが、こちらの方が繋がると思います。
さっそく『本編』に今朝投稿させていただきました。ありがとうございます。
『ふるさと大夕張2丁目3番地』の表紙にあたる部分は、わかりにくいかもしれませんが、以下のリンクが、日々の投稿が表示される画面となっています。
https://ooyubari.com/
『本編』にのせた方が、より多くの人の目にふれると思います。
こちらをお気に入りなどに登録しておくと、毎日の投稿が見られるようになっています。
錦町2丁目2番1号、『散歩道』の住宅地図で確認しました。
中学生の頃、親が営林署勤務の友人と、天理教会下の長く続く坂道で、キャッチボールをして遊んだことを懐かしく思い出しました。