マンガのなかにでてきた〘 いちろく銀行 〙| 高橋正朝 #173
言わずと知れた質屋のことである。
この〘 質 〙とだけ書かれた看板を千年町の商店街で見ている。
商店街と書いたが、おぼろげな記憶では、表通りではなかった。 間違った記憶かもしれないが ••••••。
千年町に住んでいた人たちは正確に知っているだろうが、明石町に住んでいた人私には、質屋の場所は、霧のカスミの中だ ••••••。
高田商店があった辺りの裏側の通りで、その通りを西に、すなわち宝町方面に歩くと児童公園周辺に行く道である。
表通りと違って商店はなかったので、意味や読み方ががわからなかった質の文字が眼についた。
私が〘 しち 〙と読めるようになったのは、たぶん鹿島東小学校4年生ぐらいのころだったように思う。
看板に、漢字で一文字で〘 質 〙と書かれていたら、それは質屋を意味すると知ったのは、さらにそれから1年ぐらい後のことだった。
その意味を知る数カ月前、少女マンガ雑誌に、ある読み切りマンガが載っていた。
作者は覚えていない。 しかし、マンガの登場人物は、石森章太郎の描く人物に似ていた。 そして、マンガのなかに、〘 質 〙を描いた文字がでてきた。
少女マンガの作者に、〘 U・マイヤー 〙という人物がいた。
マンガの登場人物は、石森章太郎と水野英子が描くものによく似ていた。
〘 U・マイヤー 〙は、〘 うまいや〜 〙のダジャレをアルファベットとカタカナにしたのではないかと、カンの鈍い私でも気づいた。
実際は、〘 U・マイヤー 〙は、赤塚不二夫も参加していて、3人の合作名義だったということは、後に、何かで読んで知った。
上記に言及したマンガの作者名義は、〘 U・マイヤー 〙だったかどうかまではハッキリ覚えていない。
しかし、登場人物は、石森章太郎が描くものとよく似ていた。 イヤ、間違いなく石森章太郎が描いたものだったと思っている。 また、そのマンガには、水野英子が描いた登場人物はいなかったように思う。
そのマンガの内容は、当時、鹿島東小学校の5年生ぐらいの私にはよく理解できなかった。
内容は、こうである。
父親は何年か前に亡くなっている。 母親が子ども数人を養っている。 あるとき、余分なお金がないとき、子どものことで、どうしても、お金を工面しなければならない。
夕暮れどき、母親は眼に涙を浮かべながら、嵌めていた指輪に手を添え、小走りである場所に向かった。 その場所が、〘 質 〙1文字だけが浮かんでいる建物だった。
〘 質屋 〙のシステムを知らなかった私には、母親の涙、指輪、質屋の関連がさっぱりわからなかった。
(2023年12月2日 記)
(筆者略歴)
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。
メール宛先:taka-jp@outlook.com (メール宛先変更になりました)
生れてから15歳の春まで大夕張で暮らした。
その暮らしの中で『質』の看板は確かに見たことのあるものだったと思える。
大夕張駅周辺ではなく、千年町。
中学生の頃か。
だから、高橋さんが書いているようなドラマや映画のシーンでもなんとなくイメージがあった。
鹿島中学へ通う道の途中、千年町にはバスも通る表通りはもちろんのこと、裏通り、仲通りなどの飲食店や個人商店が建ち並び、独特のにぎわいがあった。
宝町から千年町にかけて生協や正木商店などがあった仲通りには、『米』『鮨』の看板などとともに、『質』と書かれた看板があったのだろう。
劇場前の表通りと仲通の交差路近くには、大井質店もあった。大井質店への仲通側の入り口があったのかも知れない。
当時を過ごした中学生の自分にとって、千年町は『大人達のまち』の印象が強かった。