山田えいじ〘 ペスよおをふれ 〙| 高橋正朝  #180

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講談社の少女マンガ雑誌〘 なかよし 〙に、山田えいじが描いた〘 ペスよおをふれ 〙があった。 

スピッツの〘 ペス 〙と少女を絡ませたマンガだった。

   

ストーリーはまったく覚えていない。

   

そうは言っても、たった1ヶ所の場面だけは覚えている。 

〘 ペス 〙と少女の絡みのマンガだったが、ある場所の、2本の道路があって、高いほうを父親が歩き、少女は低い位置の道路を歩き、互いに相手を探し歩いているのに、会うことができないすれ違いの場面だった。

   

このマンガ雑誌は、妹が、時どき誰からか借りてきたものだったので、毎号連続して読んでいなかったので、主人公の母親の存在はどうだったのか、全然わからない。

   

少女の父親の風貌は、細身のハンサムな男性はなく、ちょっと太めで、メガネをかけてちょび髭をはやしていたように思う。 

  

当時、相思相愛の男女のすれ違いモノのストーリーのラジオ番組や映画が評判になっていた世相だったので、〘 ペスよおをふれ 〙は、その変形の子ども用のマンガだった。

   

相思相愛の男女がすれ違うストーリーというのは、女性がいたく感動するもののようである。

   

菊田一夫原作の〘 君の名は 〙は、ラジオドラマが放送される時間帯は、銭湯の女湯はカラッポになったと言われたらしいが、大夕張ではどうだったのだろうか?

〘 ペスよおをふれ 〙は少女向けのマンガだったが、人気は高く、ラジオドラマにもなっている。 

松島トモ子が主人公役を演じている。

 

鹿島東小学校3年生だった私も聴くこともあった。 しかし、私は毎回聴きたいと思うことはなかった。

   

〘 ペスよおをふれ 〙は、当時の少女にはかなり人気があり、その影響で、親にねだってスピッツを飼う家が増えたらしい。 大夕張でも、その傾向があった。

  

〘 ペスよおをふれ 〙の原作者の山田えいじには、私が劇画家のアシスタントをしていたとき、3〜4回見ている。 

師匠と山田えいじが打ち合わせしているのを、下っ端の私を含めたアシスタント3人も、その話を聞いていた。

  

私の師匠は、一応、劇画やマンガを描くだけのプロダクションだけではなく、本も発行していた。

さいとう・たかを、佐藤まさあき、の劇画家も同様だった。

    

師匠のプロダクションは、取次店とも契約し、最低でも月に2冊の本を出版しなければならなかった。

   

プロダクションを立ち上げたときは、それほど忙しくなく、劇画を楽しみながら描いていたが、私がアシスタントになって半年ぐらい過ぎてから、俄然忙しくなってきた。

   

それで、師匠や、以前からの知己の描き下ろしの劇画だけでは、月に2冊を発行するのが難しくなってきた。 

  

そのとき、縁あって、山田えいじが、単行本を描くことになった経緯があった。

   

山田えいじは、戦艦大和の乗員だったこともあったらしい。

大和最後の出港のときの乗組員ではなかったようだ。 山田えいじの記事は、まだ、ウィキペディアには項目はないので、詳細は不明だが ••••••。

 

ただし、〘 ペスよおをふれ 〙という項目は、ウィキペディアにはある。

   

(2024年1月20日 記)


 


(筆者略歴)   

 昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。

メール宛先:taka-jp@outlook.com  (メール宛先変更になりました)

  


   

2件のコメント

  • スピッツは流行ってましたねえ。
    吠えて噛みつく犬なのであまり好きではありませんでした。
    その頃は名犬ラッシーという、確かアメリカドラマでしたっけか?
    あの番組でコリー犬が流行ったのを覚えています。
    私の隣の九石さんの家でも飼ってました。

  • 『ペスよおをふれ』
    雑誌『なかよし』に1957年から’59年にかけて連載され、当時の読者の熱狂的支持をえた長編少女漫画です。強い絆で結ばれた少女・ユリと愛犬ペスが離別を繰り返しながら全国を放浪する物語で、親子の情愛や友情などのテーマがリリシズムあふれる筆致で描かれています。 昭和30年代の町並みや人びとの姿が描かれ、当時の風景・風俗の記録としても貴重な作品です。また、松下トモ子主演でラジオ番組として全国放送もされ、スピッツブームを巻き起こしたことでも知られます。

    以上、amazonの書評から。
     
    ペット事情に疎い自分でも、白くてすばしこい『スピッツ』は、大夕張の飼い犬の中で、河野歯科医院の『ブルドック』ともに鮮明に記憶に残っている。
    昭和30年代、こんなブームがあったのかと、納得・・・。

     

     

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