昭和30年代の運動会 応援風景(3)
2024-06-12
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昭和30年代鹿島小学校の運動会 応援風景から。
土手からバックネット越しに、富士見町の家並みが見える。
写真にも観覧の人たちの間にロープが、通っているのが見える。
今では、観客席の区切りにトラロープのような丈夫な紐を使って席を設けるが、当時は、わら縄で父母席が区切られていた。
藁をより合わせて作ったロープなので、手でむしることができた。それでも、意外と丈夫だった。
ものを縛る用途で、炭鉱住宅の軒先などにもわら縄は置かれていたりして、それで遊んだりしたこともある。
わら縄は、棒杭に結びつけられて、父母観覧用の四角い枡席を設けていたのだった。
よく足をひっかけた。
今雅秋
親戚一同で応援しています。
叔父叔母と従妹です、従妹は鼓笛隊に入っていたようです。
(2024年4月)
次の写真は、『ふるさと大夕張』(1丁目1番地)の頃から、ずっと掲載していた『運動会の父母観覧席』の様子。
写真をおくっていただいた佐藤さんは、昭和33年生まれなので、同じ頃だろう。
こちらの写真は、原版がカラー写真である。