〘 週番 〙 | 高橋正朝 #201
我々団塊の世代が在籍していたころ、昭和35年前後の鹿島中学校の教室配置図は見当たらないが、昭和46年の配置図はあり、今までに数回はそれを見ていた。
今回、たまたま出てきたその配置図を眺めながら、あらためて、私が在籍していたころの教室や廊下を歩いている妄想の世界に浸った。
そのとき、唐突に、〘 週番 〙という言葉を思い出した。
各クラスには、通常、男女1人ずつ計2人が、〘 生活委員 〙〘 保健委員 〙〘 図書委員 〙〘 放送委員 〙その他の職責( チョット大げさな表現だが )があった。
各委員のうち、特定の委員が、放課後、各クラスをまわり、清掃の良し悪し、机の整理整頓、石炭箱に石炭は補充されているか、などのチェックを行った。
このチェック者は、たしか、腕章のようなものを身に着けてたような気がする。
この〘 週番 〙は、1週間で交代した。
間違った記憶かもしれないが、この〘 週番 〙は、学年ごとに組織され、その学年の全クラスをチェックしていた。 すなわち、自分が在籍していたクラスのみならず、同学年の他のクラスもチェックしていた。
チェックする者の人数は少数でグループ分けされ、私自身、〘 週番 〙をやったのは数回だけだった。 それと、どういうわけだったのか、区分けされて各教室を見回ったのは、男子生徒だけの見廻り組だったような記憶だが ••••••。
いずれにしても、この〘 週番 〙なる仕事?やグループ分けなど、すべてが曖昧模糊としている。 そういうことで、今回の投稿の文章は短い ••••••。
この〘 週番 〙を詳しく知っている方がおりましたら、投稿にて教えてください。
(2024年6月15日 記)
(筆者略歴)
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。
メール宛先:taka-jp@outlook.com (メール宛先変更になりました)
自分の頭の中では、けっこう小学校と中学校の記憶が『ごっちゃ』になっている。
『週番』と聞くと、真っ先に鹿島小学校の「日直」が、学年の「週番」を行なっていたような気がしていた。
その姿は、腕章をつけ、バインダーをかかえて、休み時間の見回り、各教室の生活の様子を見回ってチェックしている姿を思い出した。
その姿が、中学校の時だったのか、小学校の時のものだったのか曖昧だったが、でも、おそらくこの記憶が、鹿島中学校での『週番』であり、小学校の『日直』とは別のような気がしてきた。
『週番』にあたった人によって、けっこうこまかく注意をされていたような気がする。
自分は、キリッとした女子の一言に身体を小さくした。教室で追いかけっこをしているようなやんちゃな男子も大人しくなったようだ。
女子が厳しかったような印象で男子の週番に注意をされた記憶はほとんどないのだが・・。
中一の時の『生活』委員長だった男子は、大人でキリッとしていてカッコよかった。
朝、暁橋の交差路に立って、通学中の生徒たちや橋を揺らしてふざける生徒たちに声をかけたりしていた姿が印象的で、中学校に入って初めて憧れた『先輩』でもあった。
昭和45年頃の鹿島中学校の委員会活動は、『生活』『保健』『図書』『放送(視聴覚?)』の他に、自分がやったことがあるのは、『整備』委員なるものがあり。今でいう環境整備的な仕事をしたような。
この他に『学級委員』もあった。『週番』に関係するのは、『生活』か、『学級委員』だろうか。
自分は『保健』を除いて、どの委員も経験したことがあるような気がするが、学校から望まれるような主体性のある模範的生徒ではなく、図書室や、放送機器の前でのダベリングであったり、ぶらぶらと時間を潰した、平凡な?生徒だった。
まあ、だから記憶も『ごっちゃ』で、すべて大夕張の出来事は、霧の向こうのことなのだろうけれど・・・。