大夕張の岳富町にあった甘味処 |高橋正朝 #217
前回の投稿で、上野にあり甘味処〘 みはし 〙について触れた。
東京に住んでいる甘党には、甘味処といえば、上野と浅草にある〘 みはし 〙、新宿西口にある〘 時屋 〙、アトレなどにも入居している〘 麻布茶房 〙などが知られている。
〘 麻布茶房 〙は、札幌の東急百貨店の10F や札幌シャンテのB2F にもあり、私が、札幌に行ったときは、たいてい、ジュンク堂書店に近い、札幌シャンテの〘 麻布茶房 〙に行くことが多い。 〘 麻布茶房 〙は、甘味だけを供するのではなく、ちゃんとした食事のメニューもある。
ところで、私の大夕張時代は、甘味処という表現はしておらず、お汁粉屋と言っていたように思う。
夏場のお汁粉屋は、たいていかき氷やあんみつ、ところてんも売っていた。
そのお汁粉屋は、岳富町にあったと思う。
そこで、お汁粉を食べたかどうかの記憶はハッキリしない。 団塊の世代の我々の子ども時代、お汁粉を外の店で食べるということは、まァ、なかったことだった。 ラーメンを外食するのも、めったになかった。
しかし、かき氷は何回か食べている。 お祭りかお盆かの、親から小遣いをもらったときに限ったが ••••••。
そこではパンジュウもつくって売っていたようにに思う。
私は、明石町番外地に住んでいたこともあり、その店の名前までは覚えていない。
東京に住んでいたときは、近所の甘味処に行った以外、〘 みはし 〙と〘 時屋 〙は、私が20歳ぐらいのときに偶然見つけて知った。 〘 麻布茶房 〙は、30数年前に初めて知った。
一時帰国して、亀戸に住んでいた知人を訪問した帰途に、亀戸駅のアトレのなかにあったのを偶然見つけて入ったのが最初だった。
一般的に、男性1人で甘味を食していることはいるのだが、それは少ない。
私が目撃したケースでは、中高年層ばかりだった。 若い男が、甘味処で、1人でお汁粉やアンミツを食しているのを、私は未だ見たことはない。
今回、この投稿を書く際、〘 麻布茶房 〙がまだ亀戸アトレにあるかどうかネットでチェックしたら、まだ存在しているようだ。 甘味処は、個人商店が多いが、〘 麻布茶房 〙は、大きなチェーン店だということを、今回初めて知った。
しかも、バンコクにも数店あるのが、ネットで紹介されていた。 知らなかったなァ ••••••。
さっそく行ってみたが、ジェラートの販売が大半で、お汁粉を食べさせるようなところではなかった。
話しがあさっての方向になってしまうが、JR の駅ビルは、以前はルミネと呼んでいたような記憶が薄っすらとあるのだが ••••••。
そんなどうでもいい疑問を持つ者が、私以外にも少なからずいて、ネットの回答4例のうちのひとつに、こういうトボケたクスッとしたモノがあった。
先に買い物を済ませてしまうのが、ルミネ。
あとれいくのが、アトレ。
••••••。
(2024年10月5日 記)
(筆者略歴)
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。
メール宛先:taka-jp@outlook.com (メール宛先変更になりました)
甘い物といったら、お小遣いの5円玉、10円玉を握りしめて大夕張駅前から春日町に向かう駅前通りの雑貨屋さんで夏の氷菓を買った思い出かなあ・・・。
思えば、池田屋、荒川、帯向商店のあたりだろうか。
太陽と道路の影、店先の盥に入った水と蛇口から流れ出る水、爪楊枝の刺さった四色の氷菓や、パイナップル味の穴の開いた氷菓を思い出す。
甘くて美味しかった・・・。