鹿島中学校の閉校にあたって |S.H

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 思えば鹿島中学校は昭和22年5月開校以来、九千二百余名の及ぶ卒業生を社会に送り出し、名実ともに輝かしい伝統を築きながら今日に至りました。

 以後石炭の斜陽化で街の過疎化が進み、その中で、シューパロダムの建設が取り沙汰されている今日、大夕張にとって鹿島中学校の閉校は何ともいえない一抹のさびしさを感じざるを得ません。

 

思い起こせば、かつて三菱大夕張炭砿の全盛期には人口も約二万人近くに増加し、生徒数も千六百六十一名という大規模な中学校となりました。

 

その頃、街の道路も着々と整備され、初めて大夕張に三菱バスが運行されました。

 

常盤町にある中学校に大勢の中学生がバスに乗り、通学していました。

 

時には校内マラソン大会が行なわれ、沿道の人々の声援を浴びながら、元気で街中を走り回った中学生の姿、秋の文化祭に各クラスで作り上げた山車を担いでにぎやかに行進した仮装行列、多くの出来事は、今では懐かしい思い出として、走馬燈の如く脳裏を巡っております。

 

 

 

 (平成8年3月発行 鹿島中学校閉校記念誌「鹿島」より 一部抜粋編集済)

 

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