2020-01-02
2020-08-19
7312
夢の街 バス停 希望
『夢の街』「バス停」「希望」
夕輝文敏さんの8、9作目です。物語に登場する札幌市の大通西三丁目のバス停は自分も14.5歳の時、月一位の割合で、大夕張ー札幌間の行来きに乗降したバス停であり、とても馴染みのある場所です。
私の母は、満87歳で昨年3月に亡くなりました。一昨年の夏に倒れてから、ずっと入院生活でしたが、想い出すのか、亡くなるまでの日々、もっぱら大夕張時代の話でした。
父との出会い、結婚にいたるエピソード、結婚16年で母は父と死別しましたが、そのつらいことさえも、やさしい人と結婚して幸せだった、まわりのみんなにそう言われた、と幸せそうに語っていました。
苦労したであろう、戦中、戦後の時代のこと。防空壕を掘って頭上を飛行機が飛んでいって怖かったこと、戦争に負け外国人労働者が街を闊歩した時に感じた恐怖、当時は千年ー農場間には道路がなく、食料を農場(明石町)まで求めて足下に谷を見ながら鉄橋を行き来したことなど、淡々と語っていました。
札幌に出てきてからたった一度だけ参加した夕張女子高等学校(後の夕張南高)の同窓会。私らの年代は男子がいないからつまらないと言いながらも、そのときの名簿は仏壇の奥の引き出しに大切にしまわれてありました。
戦争が終わってまもなく、東京から北海道に憧れて大夕張にやってきた父。母は、その地で生涯を終えた父と、きっと大夕張のどこかで40数年ぶりの再会をはたしたことでしょう。
「バス停」のラストシーンと重なってみえます。
ふるさと大夕張 http://WWW.ooyubari.sakura.ne.jp/
一年経ちましたか。残された者は時間を測るしかないですね。僕の父も朦朧とした意識の中で、住所を聞かれると、栄町とこたえていました。本当に夢の街だったのですね。