昭和18年 宝沢を行く列車
2020-03-02
2020-03-20
9830
昭和18年、7号の沢と言われた宝沢にかかる鉄橋を行く列車。最後部の車両は出征兵士の見送り。昭和19年築堤化された。
道路側から見た鉄橋。この辺りは戦後バラックの貸本屋・のみ屋・飲食店などが数10軒道路の両側に立ち並びにぎわい、道路改修の為強制的に岳富町と駅前商店街の向かい側に移る。
【岳富町の記憶】
戦後まもなく7号の沢線路わきに掘立小屋的な店が十数軒でき、飲み屋、貸本屋、飲食店があってにぎやかであったが、道路改修のため強制撤去され岳富町と駅前商店街の向かい側に移った。
鉄橋で通学に鉄橋を渡って帰っても怒られませんでした。線路を歩いていると下に橋げたが見えました。
小学生の頃の記憶では店は間口2から3間くらいの屋根の低い店でした。私の知り合いもおりまして、皆駅の横に移りました。後の商店街になったところです。
昭和16年宝沢橋梁桁の一部に亀裂あるを発見、橋梁を廃止築堤線路に変更すべく工事着工、昭和19年9月に至り築堤完成し30日新線に切換え運転を開始せり。
戦後は道の両側に店が並んでいました。どちらかというと、左側が多かったと思います。