昭和28年学校概要|鹿島小学校(1/22)
全22ページ (1/22)「開校25周年を迎えて 学校長 石垣貞司」
古きをたずねて新しきを知る「温故知新」先人の遺業を偲んで、現在を検討反省し、将来進展への基盤とする。
我が鹿島小学校も、ここに開校25周年を迎えました。学校の歴史をひもとく時、幾多先輩諸氏の苦心経営のあと、幾千を数うる卒業生諸君が、それぞれその処を得て、社会公共のことに貢献している姿がうかがわれるのであります。
この秋にあたり、意義ある記念式典をあげ、かたがた記念事業並びに記念行事を行い、往年の功績を偲び将来を祝福することは、光栄の極みであり、かつまた慶祝に堪えない次第であります。
顧みれば昭和3年10月1日、主夕張尋常高等小学校として開校したのがその始めでありまして、大夕張礦業所が事業開発当初において、児童教育の一日もゆるがせに、すべきでないという教育の重要性に鑑み、父兄共々に学校創設のことに意を用え、事業着手と共に其の開校をみたのでありまして、この教育に対する熱意と、歴代校長並びに学校教職員の経営の画策よろしきを得たことが、やがて本校教育の基盤となり、鹿島教育の今日を見るに至ったものと考えられます。
爾来炭鉱事業の発展にともない、児童数も逐次増加し、特に終戦後の学制改革による新制中学校の発足などあって、校舎の狭溢をつげ、一時は、一週5日の授業、あるいは2部授業などと、教育上まことにうれうべき状態におかれたのでありますが、幸い市当局、並びに会社、父兄各般のご配意によって、鹿島中学校、鹿島東小学校の建築を見て、現在の如き、整備充実をみるにいたったのであります。これひとえに市民各位、同窓生諸君の絶大なるご援助と、本校に職を奉ぜられた教職員各位の熱誠努力の結果によることと深く感謝に堪えません。
私が登校に参りまして最も強く感激し、また常々喜びに思うことは、三菱大夕張礦業所、各団体、官公庁、父兄等、地域の方々のすべてが、子弟教育に深い関心を寄せられ教育に格別のご支援をいただいていることであります。
申し上げるまでもなく、子ども達が正しく健やかに育って行くのには、学校と家庭と社会とが、其の教育の責任を分けあい、力を合わせて子ども達の幸福のために努力して行くことであります。子ども達は国の宝ということは昔も今 (つづく)