昭和28年学校概要|鹿島小学校(22/22)
2020-03-11
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全22ページ (22/22) 「母校25周年記念を迎えて|鹿島小学校第7期卒業生 千田芳雄」
「母校25周年記念を迎えて」鹿島小学校第7期卒業生 千田芳雄
霊峰聳ゆる夕張岳の麓に建てられし私たちの母校も、早25周年の歴史を迎え、同窓生としてゆめのように昔の面影が思い出されてきます。
4.5年生の学生が、4人か5人で漸くかかえられる大木が次々と切り倒されて、校舎が建てられたのは、昭和3年、あれから炭山の発展と共に校舎も増築し、私が卒業したのは昭和11年ですがその頃はまだ大きなナラの木が一本此のグランドの中程に切り残され、私たち子どもによい友達でした。野球のバックネットがわりに、また、陣取りの遊びの本陣になったりしたものでした。
また、授業のかたわら一鍬一鍬、小さな力の集まりで熊笹や木の根を耕し、校舎の周囲に畑を作り秋の収穫を喜び、大根、南瓜、馬鈴薯など、皆自分たちで今日の給食のように自炊を楽しんだものです。
冬はスキー、春は山、夏は川、秋は遠足と、25年を過ぎた今日のようにブランコもすべり台も鉄棒もなかったが、大自然に恵まれた私たちは、毎日元気で幸福なその日を校舎の中で校長先生初め諸先生と共に過ごした日を、此の学校が背負っているのだと思うと、感激新たなるものがあります。
25周年記念行事を迎えて、卒業後世界は次々と移り変わり、期待された私たち青年時代に敗戦という憂き目をみて、民主主義という世相の中にいきるのですが、今なお変わらない母校の教訓、「強く正しく大きく」を幾度となく、くちずさむ時に新たなる勇気が湧き出る思いがいたします。
これこそ我が母校の25年間流れ来た教えであり、これほど卒業生を力づけてくれるものはありませんでした。
最後に心から鹿島小学校万歳を連唱したい。