昭和28年学校概要|鹿島小学校(21/22)
2020-03-11
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全22ページ (21/22)「回顧随想 鹿島東小学校 小林清次」
「回顧随想」 鹿島東小学校 小林清次
永いようで短く,短いようで永い25年間。
その始,学校長と二人きりで建築列車に便乗「バラス」の上に乗せられた梱包にしがみつき「がたん」「がたん」と揺られ,発破作業中の「函岩」近付で若しやと思うくらい肝を冷やしながら北部大夕張に運ばれた。
何の因果でこの山奥と思いしこの地に今も尚朝夕,夕張岳を眺めている。今更「人事憂楽あり,山光古今なし」の感にうたれる。
大夕張駅も当時鋸目のある板で仮に造られたレール終点兼糧秣倉庫の地点に山の親父がまかり出て「がりがり」と板壁をひっかく音に二名(和井田,土田)の係員を振いあがらせた翌日着任 本校も河原の様な校庭にポツンと人待ち顔に立っていた。
開校準備の手休めにと,校庭をそぞろ歩きしている自分の姿を見つけ,「学校の先生がいる」と数ヶ月間学校に飢えた子等数人駆け寄り日焼けした面に瞳をかがやかせそれでも遠慮勝ちに「何時から学校が始まるの」といった頭の大きい年嵩の子供。 その子は戦死したとか。
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故郷としたうは誰もが味わう感慨 それはその地に自己の生命が 幼き友達に,住家に,山川草木に放たれ植えつけられているからであり,その帰らぬ生命の執着がそうさせるのであらう。で,やがて故郷となるべき現在の郷土に執着を持つことができると,それは自己の命生を見いだすことになりそのあらわれが郷土愛,隣人愛というすがたになる。
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本校開校25周年,幾多の生命が此所に潜んでいると思うと何かしら絶ちがたいものがある。
そして 「人生は短き日なり,されど働く日なり」とたれかの言葉が自分に言い聞かせているような気がする。
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【鹿島小学校と鹿島東小学校・・・小林清次先生】
小林清次先生は、昭和26年6月1日、鹿島東小学校に鹿島小他の教諭12名、児童614名と共に、あたらしく出来たばかりの鹿島東小学校にうつりました。
昭和27年には鹿島東小学校の校歌の作詞者としてお名前が残っています。
鹿島東小学校では、昭和34年まで勤務されていました。鹿島地区の二つの小学校の開校の当初から活躍された先生だったのですね。