母校四十周年記念にあたりて|佐藤政一(鹿島小学校「四十周年記念誌」から)
2020-03-16
21056
「母校四十周年記念にあたりて」
鹿島小学校 第一期卒業生 佐藤政一
秀峰夕張岳清き流れ夕張川に位置して建てられた私たちの母校も四十年の歴史を刻み、ここにその記念日をむかえるにあたり、夢のように過ぎ去った数々の思い出が、今頭に浮かんできます。
当時の校舎は、現在のほうに第二線校舎一棟にて、生徒数も約四百名にて先生も校長先生外七名でした。
学校の周囲は大木が繁っており、昼なお暗いというありさまで、毎日放課後、野外運動場をつくるため鍬をふるい笹を刈って汗を流したものでした。
つらい作業も毎日のことであり、一日も早く運動場を作りたいという一心で、作業を続けてまいったのですが、いわゆる子どもの力には限界があり、陽の目を見ずして、卒業してしまったのです。
しかし、この気持ちは次々と引き継がれて伝統の母校の校訓「強く、正しく、大きく」となって、今なお、在校生の旗印として生きてきました。
わたしたちのころは、今日のように、ぶらんこも、すべり台も鉄棒もなく、只一途に学校付近を開くということだけを考えて精をだしたのです。
しかし、私たちは大自然に恵まれ、新鮮な空気の中で、毎日元気で、幸福な毎日を先生方と共に過ごした思い出が四十年後の今日走馬燈の如く、頭に浮かんできて、感慨無量であり、すべて学校が知っているのだと思うと、感慨あらたなるものがあります。
過ぎた大戦に幾多の卒業生が戦陣で倒れ、敗戦という局面にあい、民主主義という世相の中で伝統ある母校の校訓に支えられて、生きていく我々にもまた新しい勇気が湧き出る思いがいたします。
四十周年記念日にあたり、校訓を中心とした教えと、伝統を傷つけないという考えを何時までももち続けたいと思っております。
(昭和43年10月1日発行 鹿島小学校「開校四十周年記念誌」より)