たった一度の夕張岳登山|飯田雅人
たった一度の夕張岳登山。
夕張岳山頂。ここに初めてのぼった時、金山営林署と書いてあるのを見て、夕張側しか見たことなかった中学生としては、なんで大夕張でないの?と素朴に思いました。
残念ながら私の山頂写真はありません。ここにうつっているのは私の父です。北海道にあこがれ東京からやって来た父は若い頃、八百五十や夕張岳への登山を満喫していたようです。
私も昭和45年8月頃だったと思いますが、夕張岳登山をしたことがあります。
鹿島中学校3年の時、希望者をつのり、夏休みを利用して、先生に引率されて登ったのです。希望者とはいえ、10人を超える大人数のグループだったと思います。
ヒュッテで早めの夕ご飯を食べて、近くの空き地でレクを楽しんだあと、就寝。そして、夜中に登り始めました。朝に頂上に着き、上る朝日を迎え拝むという計画です。
ところが、上に行けば行くほど、ガスが濃くなり、寒くなってきました。途中、「がま岩」付近では、もやの中に岩壁を見た感じ。たどり着いた頂上では、ご来光をみるどころか、一帯はガスに包まれていました。
近くの仲間の姿さえもはっきりしないありさまで、声だけが妙にはっきりと聞こえるような感じです。まるで煙幕の中にいるような状態で、頂上からは何も見えませんでした。
さらに、その年はTVなどで、ヒグマ出没の当たり年だったようで、登山道付近でヒグマが出た形跡があり、気をつけるよう、さかんにニュースでアナウンスされていました。昭和45年夏、一時は登山の中止も取り沙汰されたくらいでした。
そんな中、頂上付近で、誰かが「ヒグマの糞を見つけた!」の声。誰かの悪い冗談か、勘違いだったのかわかりませんが、その時は、大騒ぎになりました。
湿った冷えた身体で下山すると、下の方は完全な小雨の状態でした。ヒュッテまでむかえに来てくれたトラックの荷台にのって大夕張の町へ戻った頃は、疲労困憊していました。
一度だけの登山は、結局、印象はあまりよくないまま終えてしまいました。父のような晴れ晴れとした笑顔にはなれなかったよなあ・・・。
(2020年4月20日 記)