20194

五月晴れの鹿島を訪ねて |ziny

平成24年(2012)年5月23日


札幌でふるさと鹿島の懐かしき人びとと懐かしき思い出を語り、歌い、青春を謳歌。翌日曜、今年一番という快晴の鹿島を訪問。

今回のzinyのミッションは、一つは鹿島小校歌の過去知ると思われる人物へ接触し校歌の謎を解く糸口を探りだすこと、そして二つ目は、我が母校・北海道夕張東高等学校跡地の状況とダム付け替え道路との関係を確認することであります。

①鹿島小の校歌は昭和15年制定時には、作詞は加勢蔵太郎氏、作曲が工藤富次郎氏、・・しかし、後世では作曲は千葉日出城氏となっているが何故なんだろう?と尋ねたところ

●・・25年会宴会の席。懐かしき幼馴染の談(女性)。

【ひとしさんに聞かれて思い出してきた。前に田中先生(鹿小の音楽の先生:いつもこの会で校歌の伴奏をしていただいた。2年前にお亡くなりになった。)に、校歌の謂れのようなことを聞いた覚えがある。思い出すと・・校歌はもともと鹿小の校歌ではなかった。!?・・ どういう意味での歌だったのかということは覚えていないが・・先生に、なぜなら「歌詞には、どこにも小学校という言葉は入っていないだろう・・」と聞いた記憶。】

があるとのこと。

確かに、子ども当時何気なく歌っていたが、あらめて歌詞をみて考えるに、小学生が歌う校歌とは思えない開拓者精神的な言葉が続いているなぁー。

でも、2番には「学びの舎(や)」というフレーズもあるが・・・ 
しかし、最後を「 ああー おおゆうばりー 」としているのは・・これは「大夕張の歌」なんだろうか。・・?という疑問??

ここで、大夕張イコール鹿島地区か?、と調べてみると、どうも違うようです。歴史があるようです。


大夕張という名称は明治、大正の始め頃は、今の南部(南大夕張)方面の滝ノ沢や錦、清水沢、若葉などの場所での炭鉱の名称として使われていました。


鹿島地区の正式な地名としては、大正8年以前は北部大夕張で、その後は大夕張とされ、昭和17年に鹿島と呼ばれるようになりましたが、大夕張という呼称で現在でも呼ばれているとのことです。

zinyも昔から、鹿島なの?大夕張なの?と素朴な疑問を持っていました。

三菱が鹿島に炭層をみつけたことにより、事業所・名称とも変えて、現在の大夕張となっていったようです。

そうすると、この「 ああー おおゆうばりー 」という歌は、鹿島小学校校歌とされる以前にまさに、どこかで「大夕張の歌」として歌われていた可能性がかなり高いのではと、考えられるのですが。・・・?

●そして、出席された中学時代の音楽の先生に、歌詞は「地のひびきか、血のひびきか」と・・尋ねたところ、歌詞全体を眺めつつ、「地」でしょう。とのことでした。

翌日、鹿島小の校庭で会った、てっつんさんの卒業文集?でも、「地のひびき」でしたとのこと。しかし、その後の楽譜に残ってる歌詞は「血のひびきである」。どちらも謎を解くまでにはいきませんが、認識すべき新たな証言と思います。

②清水沢から、遠幌、南部をあっという間に過ぎて、新しいトンネルで・・・・過ぎて、右下には以前の道。
そして、付け替え道路には昔の町名・地名がついた橋??の標識・・ちょっと、名称とイメージとに違和感ですが・・消えゆく過去の名称が永く残るようにとの配慮でしょう。


ミニパークへ到着。場所が分かりづらいので、通り過ぎるところでした。眺めはいいです。我々がいると次々に車が入ってきて、眺めていきます。昔の住民でしょう。高齢の方もいます。

その先に進んで、
●北海道夕張東高等学校跡地と思われる場所。造成中。閉校後訪れた時は緑繁る林の中だった東高の記念塔がポツンとありました。

前岳、夕張岳を刻んだ石碑、その背後には、本物の夕張岳が聳えております。いやぁー、最高のロケーションです。
しかし、周りの樹木は、記憶よりも高く、健やかに育っている感じ。


開拓・白金への新しい道の橋脚がかなりの高さで何本も作られつつあります。
造成中のここは、まさに、あの丘の上の東高です。
校舎があった場所です。道路とその周りは、当時、我々がキャンプファイヤーを焚いて、オクラホマミキサーやマイムマイム、ジェンカ(別の時zinyが体育館でエレキで弾きました。)などのフォークダンスをした懐かしのグラウンドの跡です。連れて来てくれた同級生のM君とも確認し合いました。

付け替え道路には、車は勿論、かなりのライダーが次々に走って来、去っていきます。日和のいい日は最高のドライブコースです。

夕張岳登山の途中に望岳台がありますが、ここはまさに『望岳の丘』ですね。

ここは富良野芦別道立自然公園の一画に入っていると思います。人びとの往来が増えても、千古の緑の自然を失くすことがないような管理を望みます。

この先どのように完成するかはわかりませんが、東高跡地のそして、鹿島・大夕張の素晴らしき未来を見守っていきたいと思います。

鹿島小学校校庭のイタヤ楓のもとに集まった大夕張ラヴァーズの皆様、桜の苗木を神社山への植樹として持参されたウッチーさん、ご苦労様でした。お世話になりました。ありがとうございました。

1件のコメント

  • 平成24年(2012年)5月の同じ頃の東高校跡地の様子がYOUTUBEに上がっていました。
    工事がだいぶ進んでいたことがわかります。zinyさんの文中『ポツン』の意味がわかりました💧
    ↓ 

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