雪の大夕張
昭和35年頃
昭和35年の大夕張 【飯田雅人】
大夕張の町を神社からとった写真が何枚もあります。この神社からの夕張岳を背にした町の光景には愛着があります。父が撮影したこの写真は昭和40年頃だと思っていました。でも大夕張駅から協和会館までの栄町の炭住の並びを他の写真と比べてみると大夕張が一番盛んだったどうも昭和30年代後半のもののように思います。
バックネットや、駅とグラウンドの倉庫のあたりに違いがあります。バックネットがいつ立て変えられたかわかりませんが、昭和45年頃のスマートな?バックネットに比べると、こちの写真は旧式の武骨な?バックネットです。そんなところを比べながら、全景写真を見るのもまた楽しみとして見ています。
このサイトの他の写真もそうですが、検索やタグ付けの便宜上、5年ごとに区切って写真の年代をつけています。なので、「昭和40年」か、「昭和35年」かというと、ここは「昭和35年の大夕張」ということにします。
大夕張 最後の冬 【乗田 功一】 (’97.10.24)
もう過ぎてしまったのですが、10月22日午後11時のフジテレビ系「ニュースJAPAN」で「故郷が湖底に沈む・・・炭坑町最後の冬を撮った」という大夕張の特集を放映していました。わずか10~15分ほどのコーナーでしたが、みなさんご覧になりましたでしょうか。以前放映されたNHKの特集番組に登場していた「加川写真館」の加川さんが再び登場していましたが、もうじき移転するとのことでスタジオ内がきれいに片づけられていました。
北海道はもうすぐ冬ですね。大夕張にとって最後の冬です。
家の中が暗くなるほど降り積もった沢山の雪。
雪化粧した美しい夕張岳。
遮断機の下りた踏切で、ラッセル車が勢いよくかき分けた雪をかぶり、息が詰まりそうになりながらも喜んでいた幼い頃。
栄町のブロックの2階の窓より見えるスキー場。
浴場からの帰り道、家までわずか数十メートルの距離なのに洗い髪がパリパリに凍った思い出。
澄んだ冷たい空気と、空には無数の星。
私の住むここ神奈川で、遠い記憶の彼方でいまも鮮明に思い出す大夕張の冬です。
この写真ですが、昭和35年頃というのはだいたい正しいと思います。
私は37年4月に転出するまでこのグラウンドを見てきましたが、写真のバックネットはその頃のものです。
グラウンドの廻りに車が通れるほどの道路が見えていますが、これができたのは昭和35,6年頃かもっと前か?
決定的なのは手前のテニスコートの柵。これができたのは昭和36年だったと思います。
グラウンドを見下ろす校庭の土手は運動会のときは恰好のスタンド席になりました。それなのに、テニスコートを
2面に増やすためだったのでしょう、整地され、土手が削られてフェンスが巡らされたのでした。
で、私の結論は「昭和37年以降の早い時期の写真である。」となります。