大夕張つれづれ■自己紹介■|高橋正朝 #1
2020-05-06
2020-08-19
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「大夕張つれづれ」について
「ふるさと大夕張(1丁目1番地)」に住民登録のコーナーがありました。高橋正朝(たかはしまさとも)さんは、2006年の初投稿以来、あしかけ11年、数十回にわたって、大夕張のことを念頭に、日々の生活について綴り、読む人を楽しませてくれました。
「ふるさと大夕張2丁目3番地」への引っ越しにあたり、その書かれたものを「大夕張つれづれ」と題して掲載して行きます。
まずは、高橋正朝(たかはしまさとも)さんの自己紹介からの掲載開始です。
自己紹介 【高橋正朝(たかはしまさとも)】
昭和23年11月に明石町で生まれ、鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住しました。
鹿島東小学校の4年5年の担任は北沢先生(女性で、後に結婚して小滝 姓)で、6年のときは庭田先生(女性)でした。
鹿島中学校1年生のときの担任は、社会と英語を教えてくれた渡辺先生です。
2年のときは、 デンスケというアダナの大宮先生でした。
3年のときは、 藤野先生で、 理科を教えてくださいました。
明石町の番外地の2階建ての家は、 私が生まれて住んでいた家です。でも、全然大きくなかったですヨ。
昭和39年に、札幌に一家転住になり、その2~3年後にどなたかに売ったようです。
番外地には、 同学年の小林ジュンジ、柿崎トオル、阿部ヒロコ さんたちが住んでいました。
高橋正朝さんの日記は昔のことを詳しく書いていて、よく覚えている方だなあと感心していました。
ゆっくり読んでみようと思い始めて#1を読むと「デンスケ」が出てきたので、あっこの先生は私の6つ上の姉もときどき話していた大宮先生だと気が付きました。
大宮先生の記憶はだいぶ薄れましたが、平成7年(1995年)~平成12年(2000年)までの勤務先で雪堆積場の管理をしていて、豊平川左岸の雪堆積場をパトロールしていると、ダンプの入場管理小屋に昔見たことがある顔を見まして、帰りに管理小屋にはいいり話かかけてみました。
昔大夕張で学校の先生をしていたかたですか?
とたずねると、ああそうだとの返事
ひょっとして大宮先生ですか?確かデンスケと呼ばれていましたよね。
ああそうだ、よく覚えているねえとの返事
記憶にあるとおり、あのもっちゃりしたしゃべり方は変わっていませんでした。
姉の話と私の中学校時代の話をすると、よく覚えていました。
学校の先生って記憶がいいですねえ。
大宮先生は当時山鼻にあった教育大学に通っていた話をしていた覚えがあります。