大夕張つれづれ■総天然色■|高橋正朝 #14
私の小学生当時、たいした娯楽のないこともあり、学校の先生が引率して千年町の劇場に行くことが年に数回ありました。
1~2年後に、労働会館ができて、そこでも映画を上映していましたが、洋画が多く、邦画を上映するときは日活の映画が多かった。
生れて初めて観たカラー映画が、空の大怪獣「 ラドン 」でした。カラー映画が本格的に上映されるようになった初期のものモノですね。怪獣映画としては、東宝の初のカラーだったそうです。
東小学校2年生のときです。
恐ろしい感じの音楽が流れてきたり、妙にシーンとした場面になると、臆病な私は目と耳を押さえて顔を下に向けていました。
2割ぐらいの生徒はそうしていたようです。
原作は黒沼健。
小学校5年生の時、漫画雑誌「 少年 」に、九里一平の画で、原作が黒沼健となっていた「 海底人8888( ハヤブサ ) 」が連載されており、別な漫画雑誌で、 黒沼健が、 ラドンの原作者だと知ったわけです。
当時の漫画雑誌は漫画だけでなく、少年向けの小説や記事も載っていましたので、その記事の中で知ったわけです。
次いで観たカラー映画の記憶はやはり小学2年生で、「 力道山男の魂 」でした。
力道山が運転するオープンカーに、 教師役で出演していた岸洋子が乗っていて、力道山に何か苦情を言っている場面と、闘っている力道山の姿を見て少年が何か言っている2つの場面を覚えています。
当時は、カラー映画とは言わず、天然色映画とか、総天然色と言っていました。
カラーのアメリカ映画では、 最後にイーストマンコダックのロゴがでてきていました。
そのコダックが、 今年の1月19日に破産法の申請を出した、 とニュースになっていました。
コダックはアメリカの大企業というイメージでしたから、 日本のフジやコニカが存続していることを鑑みると、 隔世の感があります。
高橋 正朝 ( たかはし まさとも ) 2012/02/13 _ 12:43:19
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。