大夕張つれづれ■「 説教 」■|高橋正朝 #17
私が夕張工業高校土木科に入学してから、夕方、清水沢から大夕張方面に汽車で帰る新入生は、清水沢の駅を汽車が出発した直後から、交代で数人ずつ、汽車の最前部か最後尾に集められ、先輩から「 説教 」を喰らっていました。
「 説教 」する先輩も数人ずつ、やはり交代しています。
4月から5月にかけてほぼ毎日です。
朝の「 説教 」はありませんでした。
「 説教 」の最中にビンタをされたり殴られたりしたことはなかったのですが、最初のころはビビッていました。説教されている間は、ただひたすら顔を下に向けていました。
別にイジメということではなく、先輩と後輩の区別を明確にするための儀式みたいなもんだったと思います。
高校生活に慣れた6月のある日、その日の最後の授業が体育で外で行なわれました。授業が終わり、玄関から建物の一番上階にあった教室に帰るとき、土足で駆け上がって行きました。
私を含めて3人です。
玄関の掃除は3年生でした。
3年生が1人、教室まで追いかけてきて、我々は怒られましたが、方角は違うものの、大多数が汽車通学ですから、汽車の出発時刻が迫っていたため、その3年生は怒鳴って戻っていきました。
その3年生が大夕張方面から通学していたかどうかは知りませんが、帰りの汽車での「 説教 」の呼び出しもなく、その土足の件はすぐに忘れました。
翌朝、授業が始まる前、その3年生が教室にきて、我々3人を彼の教室まで連れて行きました。
機械科3年生の教室でした。朝の「 説教 」です。我々3人が悪いわけですから、 先輩が怒るのは当然です。
我々3人のうち1人は図体がガッチリとして大柄なうえ、人相も仁王形でしたので、説教している先輩は話の区切りごとに、その仁王形の同級生にビンタ喰らわせていました。
私ともう一人はビンタはされません。そのビンタは音がするものの、それほど強くはありません。先輩もちゃんと手加減しているのです。
その最中、授業を担当する白衣を着た先生が教室に入ってきました。その先生のお名前は忘れましたが、当時の機械科長です。
我々は土木科でしたが、「 機械 」の教科があり、その先生に教わっていました。
その先生が現れたとき、先輩は慌てて自席に戻ろうとし、我々も慌てて自分達の教室に駆け戻りました。
結局、先輩に怒られたのは、そのときだけで、後々まで続くことはありませんでした。
四十数年後になりましたが、 先輩、 ごめんなさい。
高橋 正朝 ( たかはし まさとも ) 2012/06/10 _ 17:16:59
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。