大夕張つれづれ■不浄の手■|高橋正朝 #19
鹿島東小学校4年生になると、社会科の授業で、先生が描いたガリ版刷りの白地図のプリントに、山脈などを描き込むのが気に入り、次いで風俗や歴史などにも興味を持つようになりました。
授業が進むにつれ、4年生の後期か5年生のころ、ある日、先生が、「イスラム教では左手が汚い手」と言いました。
しかし、「いったい何故か?」という理由は先生も知りません。
子供向けの歴史や風俗関係を書いた本でも、イスラム教では「左手は不浄」と叙述しているだけです。
1981年の7月27日に、生まれて初めて飛行機に乗り、たった一人で300キロもの荷物を持たされ、不安なままアムステルダムで1泊して、リビアの首都トリポリに到着しました。
そこで奥地に行くまで1週間、宿舎である普通のアパートで生活する、最初の日に、「左手が不浄」ということになっている理由がわかりました。
その日の夕方、トイレに入り、出すものを出し、トイレットペーパーに手を伸ばそうとしたら、トイレットペーパーがありません。
同宿している人がトイレットペーパーを使ってしまったのかと思い、大声を出してトイレットペーパーを持ってきてもらおうか、と考えましたが、その前に、トイレの中をよく見たら、トイレットペーパー用のホルダーがありません。
そのかわり、小さなプラスチックの桶と柄杓のようなものが、給水栓の前にあります。
左手がイスラム世界では何故不浄なのか、という疑問を持ち続けていたので、すぐに状況が理解できました。
左手を使って洗浄するわけです。トイレを出てから、念のために同宿者に聞いたら、その通りでした。
東南アジアも同じ習慣です。都市では、トイレットペーパーは使用しますが、実際として、きれいに洗浄することはできません。
それで、トイレでは、トイレットペーパーを備えている場合でも、給水栓に細いゴムホースを接続して、ノズルがついたものを設備しているケースが、普通です。ウオッシュレットを使用するよりも、確実にきれいに洗浄できます。
最後に、その手を洗えばOKです。
イスラム教の「左手は不浄」とトイレの関係については、その後、本で2回ほど読んだことがあります。
他の大多数の本は、そこまで言及していません。
作家の曾野綾子のエッセイで、沙漠の砂で洗浄する記述がありました。
全体から見るとこれは例外でしょう。沙漠地帯でも、人間が住んでいるところは、不十分であっても水があるので、たいてい空き缶に水を入れて、それで洗浄しています。
他にも、教科書や本などからでは理解できず、想像も貧弱だったので、実際に沙漠に入って初めて知ったことがありましたが割愛。
高橋 正朝 ( たかはし まさとも )2012/07/27 _ 15:55:35
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。