大夕張つれづれ■フィリピン■|高橋正朝 #23

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 昨年に12月に、 フィリピンの仕事の応援を頼まれました。

 しかし、 鹿島中学校の1年生と2年生のときの同級生が、年末から正月にかけてバンコクに遊びにくるので、仕事の応援は他の人に依頼するように言って、 その仕事の件は断りました。

 しかし、 即戦力で短期間でOKという人は殆どいないようで、 結局根負けして行くことになってしまいました。

 今は、 インターネットいう便利なシステムがありますから、 図面や関係書類がどんどん送られてきて、それらを読んで理解するため、 バンコクにきた元同級生には単独行動をとってもらいました。

 もっとも彼は、 一昨年にも私のところに遊びに来たので、 バンコク市内の大体の様子は知っているので、一人で行動するのは問題はありません。

 1月10日にフィリピンに入国しました。   
 23年ぶりに会う人が出迎えに来ました。

 所属している会社は別なものの、彼とは、大連でのプロジェクトで一緒に仕事をやっていました。その当時、彼は入社4年目ぐらいだったようですが、 今は、フィリピン現地法人の社長です。

 その会社は、 空調・衛生工事が専門で、 電気工事はまったく専門外です。
その会社が、 今回、突然、空調・衛生工事も含め、電気工事も客先から発注され、それで慌てて電気工事技術者を探したようです。

 私が、去年から働いていないことを、共通の知人から聞いたので、それで私に接触してきたわけです。

 戦争状態になっていない国の中では、フィリピンは、東南アジアの中では、 結構物騒な国のようです。 しょっちゅう事件があります。猥雑な場所に近づかなければ、それほどトラブルには巻き込まれないのでしょうが、夜、火に近づく虫のように、男というものは、そういう場所に誘引されるようで、たいてい、そういう場所でトラブルが発生している。

 私はどうかって? 3カ月近く、1日も休みなしで、仕事の最重要時期には、睡眠時間が3時間ぐらいが2週間も続き、気息奄々だったので、案に相違して品行方正でした。

 昨年、日本に帰国したとき、鹿島東小学校2年・3年生のとき、同級生だった人と会って食事をしました。

 彼は、仲間と一緒に、時々、フィリピンの就学児童に教材を送っているそうです。 時には、 フィリピンに行くこともあるそうです。 私は仕事ばかりだったので、 ホテルと現場との往復経路しか知りませんが、 まだまだ、 フィリピンは経済的には苦しいようです。


高橋 正朝 ( たかはし まさとも ) 2013/04/07 _ 14:01:19

昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。


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