大夕張つれづれ■沙漠の気温■|高橋正朝 #62
2016年7月27日付の読売新聞に載っていたが、今月21日に、クエートで54℃の気温を記録したらしい。過去100年で最も高い気温と認識されたようだ。同コラムには、過去最高気温として、米国カリフォルニアのデスバレーで、1913年に56.7℃ を記録したが、誤計測の疑いがあるとされている、と書かれていた。
イラクのバスラという都市で、1921/7/8に58.8℃という気温が記録されたことが記載されていたのを四十数年前に読んだことがある。丸善の「理科年表」だったような気がするが、そうでなかったかもしれない。
ウエブでチェックしてみると、一応、世界の最高気温として、バスラの58.8℃のことを記載している項目もある。この記録も観測機器の正確さが担保されてないようで、正式な記録とはなっていないようだ。
私が海外に行ったのは、1981年の7月下旬だった。ハッキリした日付は覚えていない。
以前、書き込んだことだが、埼玉県所沢市でワンルームを借りていたそのときの大家に、部屋にあるものすべてを処分されてしまい、記録やメモや最初のパスポートもそのなかに含まれていたので、海外での出入国のハッキリした日付は全く覚えていない。
日付は覚えていないものの、その年のラマダン( 断食 )が終わった直後の連休にリビアに入国した。前日にアムステルダムに到着して1泊してのことだった。
KLMオランダ航空で早朝に出発した。私は小便の間隔が普通の人より短いので、 飛行機の通路側の席を指定するが、そのときの便では私の隣の2席とも空席で、それで窓側に座って外を見ていた。窓外は緑色の山々から海に変わり、 そのうち耳がキーンとしてきて飛行機が高度を下げ始めたのがわかる。
30分後にはリビアの首都、トリポリに到着するのが機内アナウンスされ、 突然、灰色の海の色がベージュ色になり、地中海を横切ってリビアの海岸であることを示していた。高度が下がり、海岸の砂浜が沙漠と続いているのが見てとれた。
やがてトリポリ空港に到着。緑なんてほとんどない。
「いや~エライところに来たな~」というのが第一の感想。
多分、今もそうだと思うが、飛行機は空港に直接横付けできず、飛行機から連絡バスにのってターミナルビルに行くことになる。飛行機のドアが開いて外に出たら、肺が焦げるのではないか、と思った。それは錯覚である。しかし、空気が乾燥して気温が50℃前後だと、初体験の者には、そういう感覚に襲われる。
後で知ることになるのだが、乾湿球温度計では、夏季の日中の沙漠の相対湿度は計測不能である。温度計の棒が目盛板に2本あり、1本の温度計の最下部がガーゼに包まれているアレです。
目盛板に記載されている湿度を示す換算表では、相対湿度の数字がでてこない。相対湿度がゼロというのはあり得るのかどうか、未だに知らない。調べてもいない。記録していくうちに気付いたが、42℃を超えると、50℃も42℃ も、感覚的にわからない。
我々、大夕張で生まれ育った者には、冬から春になるとき、今日は15℃ぐらいだな、今日は18℃ぐらいだな、今日はかなり暖かく感じるから20℃にはなっているな、と肌で感じたものだが、あまりにも暑すぎると肌の感覚がわからなくなる。もっとも現地で生まれ育った人にはわかるのかもしれないが・・・・・・。
時々52℃になることがあったが、さすがにそのときは、「ああ、今は50℃を超えているなァ」と感じはしたが・・・・・・。日中はこのような気温でも、夜の10時ぐらいになると、涼しい風が吹くのだ。放射冷却だ。しかし、これは空気が乾燥しているからで、バンコクでは、夜になっても涼しさは感じない。湿度があるからだ。
気温30℃ で湿度が、60% ぐらいが、今の時期の夜のバンコクだが、 これだと涼しさが全くない。
中近東の沙漠に初体験の人は、喉が渇いてしょっちゅう水を飲む。それでも1カ月ぐらい過ぎると、不思議なもので体が慣れてしまい、当初のように水を飲まなくなる。
のんべんだらりと過ごしているにもかかわらず、たいていの人は1か月で体重が5キロぐらい減る。
水分が絞り出されてしまうのか、それとも体に取り込まれた栄養が高気温で燃焼されるのか、というのは分からないが・・・・・・。
高橋 正朝 ( たかはし まさとも )2016/07/29 _ 01:04:43
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住