大夕張つれづれ■春■|高橋正朝 #66
私らが子供の時分の大夕張は、1学期が始まってからの4月の今頃は、陽が当たらない所に残雪はあるものの、かなり暖かくなってきていた。
鹿島東小学校2年生の頃、まだ、明石町駅から番外地、開拓村に行く道は、 明石町駅のすぐ横の、水量の少ない小川を渡っていた。
幅の狭い板を何枚か並べた上を歩いて、その流れを横切っていた。その小川の先にブタ小屋があり、そこをちょっと先に行くと小さな滝になってシューパロ川に注いでいた。
明石町駅のすぐ横のその場所では、高低差はあまりなく、100㎡ぐらいの沼とよぶほどでもない水溜りになっていた。
4月の初旬になると、その水溜りの中から、明るい黄緑の雑草の新芽が出て、それが何ともいえない綺麗な色をしていた。毎年、4月の時期になると、飽きもせず長々と見ていたものである。
青年期にでもなれば、生命の息吹を感じさせる色・・・・・・、とでも表現するところであるが、小学校低学年児には、そんな抽象的な表現などできるわけがない。
鹿島東小学校5年生か、6年生のときであるが、その学年で、何やら、ポスターのようなものを描かされてたことがあった。その学年全体でのポスターで、 いい作品は、廊下に張り出された。
菊組である私は張り出されなかったが、たしか、竹組であった、坂本久道さんの作品は張り出された。愛鳥週間をモチーフにしたもので、黒地に黄色のデフォルメされた鳥のイラストである。デザインといい、色の組み合わせといい、これが同学年の生徒の作品かと、強烈な印象を持った。
彼はもう忘れているであろうが、私は、鹿島東小学校1年生のとき、同級生だったことがある。その当時の席は、すぐ隣の席が女子だった。坂本久道さんは、私のすぐ前の席だったが、すごい強烈な言動があった。
私には直接関係ない言動であったが、ここには書かない。同窓会があれば、 そのときには私も出席し、直接彼に、そのときの言動に記憶があるかどうか確かめたいと思っている。
高橋 正朝 ( たかはし まさとも )2017/04/15 _ 15:27:45
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住