大夕張つれづれ■鹿島東小の運動会■|高橋正朝 #76
前回、書き間違えたことがありました。
「ねむの木」を「オジギ草」と書いてしまいました。
東南アジアでは、山間地に行くと「オジギ草」を、よく見ます。バンコク市内では、偶にしか見ない。耐寒性が低いため、大夕張では育成しない。
ウィキペディアでチェックしてみると、沖縄では自生しているようだ。それに、「オジギ草」は、地面からせいぜい30cmあるかどうかの高さまでしか育たない、文字通り草です。
常盤町にあったのは、子どもの背の高さぐらいの木でした。
私が鹿島東小学校に在籍していたときの運動会は、5月末か、6月頃にやっていたように思う。7月ではなかったと思う。
小学1年生のときの運動会のときの情景はほとんど覚えていない。
2年生のときからの情景は、断片的ながら覚えがある。当時の運動会は賑やかだった。鹿島小学校の運動会を見に行ったときも同じような賑やかさだった。
生徒の数が多かったせいもあるが、賑やかだった主因は2つある。
1つは出店が並んだことだ。
もう1つは、親が見物に来たことだ。
単なる見物ではない。ゴチソウを持ってくるのだ。「花見」ならぬ「運動見」である。
親たちは、戦争を体験している。戦後間もなくは食うのも大変だったろう。重要な石炭産業の市町村は景気がいい。大夕張も子供心に活気があった。そこで自分の子どもたちが運動会をやっているのを楽しく見ていたのだろう。
酒を飲んでいる人たちも見た。ただし、飲んでいる人たちは少なかった。騒いではいなかったが・・・・・・。多分、PTAか、学校の先生が生徒に渡す親への通知文かで、飲酒は禁止していただろうと思う。そういった通知文書は私は読んでいないが(子どもの私では読もうとしても漢字は読めない)、日本語の面倒なところで、「飲酒はご遠慮ください」とでも表記していたかもしれない。
「禁止」とハッキリ表現していれば、意味は明確だが、「ご遠慮ください」という表現では、「オレは遠慮しない、禁止と書かれていないのだから飲む」という御仁がでてきても仕方がない。
断っておくが、この通知文云々は、私の勝手な想像なので、そんなものはなかったかもしれない。この、親がゴチソウを持って運動会見物にくるのは、4年生のときに消滅した。出店もなくなった。理由は知らない。
高橋 正朝 ( たかはし まさとも ) 2017/05/21 _ 11:03:25
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住