大夕張つれづれ■お盆と出店■|高橋正朝 #77

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 私の大夕張の子ども時代は、祭りは5月だったか6月だったか、今となってはハッキリと覚えていない。

 北海道の七夕は、内地(今でも北海道で使っているかどうか・・・、沖縄の人も本州を内地というらしいが・・・)、と違い、8月7日だ。

 東京の浅草から上野にかけては7月7日だが、意外なことに、東京でも中野区の阿佐ヶ谷では8月7日である。七夕の行事の日は、新暦と旧暦とで全国的に混在しているようだ。

 お盆に関しては、新暦盆があったり、旧暦盆でも地方によっては多少の日にちのズレはあるらしいが、全国的に8月15日を中心にして行事が行われているようである。「旧盆」という言葉があり、ラジオやテレビでアナウンサーが交通渋滞のニュースをながすときに、まれに、「キュウボン」と発声していることがある。

 それじゃ、新暦のお盆だから、「シンボン」という言葉があるかと思えば、 それはなかった。誰の小説だったか、作者も題も忘れているが、「新盆」と書いて「ニイボン」と親切にルビが振ってあった。 

 意味は辞典で調べたが・・・・・・・。30歳の頃である。その小説を読んでいなかったら、「新盆」を未だに「シンボン」と発音すると思っていたかもしれない。ただし、モノの本には、「シンボン、ニイボン、アラボン」と3つの発音を載せたものもあった。

 しかし、通常は、「新盆」と漢字で書かれていれば、「ニイボン」と発音するのが普通らしい。広辞苑(第六版)には、「新盆」の読み方としては、「ニイボン」「アラボン」の2つが出ていた。

 私は全くの独り者の上、冠婚葬祭には殆ど出席していないので、そういった慣習上の言葉や意味には不案内であるのは今も相変わらずである。

 お盆は、本来は厳かな儀式なのだろうが、大夕張時代の子供にとっては、年に数回の、親から小遣いをもらえる良き日だった。小遣いをもらえるのは、お祭り、お盆、正月、の年に3回だけだった。

 小遣いをもらえば、映画を見に行ったり、出店で何かを買ったりしていた。当時は、「露店」という言葉を知らなかったので、私や周りの者は、皆、「出店」と呼んでいた。

 なかには、「露店」という言葉を使っていた子もいたかもしれないが・・・・・・。祭りやお盆のときの出店は、鹿島小学校のグランドに、小学3年生のときまで、2周りちかく並んでいた。

 それが、翌年になると、1周り半となり、5年生のときには1周りの出店になり、その後は1周りも並んだかどうか・・・・・・。露店は、数多く並んでいて、出歩く人が大勢であるほど、たとえ物を買わなくても楽しいものだ。   
が、露天商は、年々減ってきているようである。

 東京でも同様らしいが、露店のない祭りなんて、何とかがない珈琲みたいなもんだ・・・・・・。


高橋 正朝 ( たかはし まさとも ) 2017/05/28 _ 14:32:11

昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住


大夕張つれづれ

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