大夕張つれづれ■カミナリ■|高橋正朝 #81

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 2017年8月19日に、東京都世田谷区の「玉川二子橋公園」の鉄柱に落雷があり、花火大会を見物していた20~50歳代男女7人が体のしびれを訴え、他に女性2人が過呼吸になって、計9人が病院に搬送された記事が新聞に載っていた。命には別条ないそうで不幸中の幸いだった。

 私が鹿島中学校3年生のときだから昭和39年( 1964年 )のことである。9月か10月の頃だ。私の妹と同学年、すなわち1年女子生徒が、下校途中に、持っていた傘に落雷して死亡した事故があった。まわりの生徒は負傷しなかったそうである。

 当日には、私はその事故のことは知らず、翌朝の HR で知った出来事だった。
鹿島は、雷の多発地域だった。夕張山地のなかの地域だから気流の関係で雷が発生しやすかったのだろう。夏から秋にかけて雷鳴が轟くことが多く、夜半に目が覚めることも多かった。滅多になかったが、冬に雷鳴を聞いたこともあった。

 私の母の故郷は函館の郊外で、亀田郡汐首戸井村である。今は戸井町になっているようである。

 対面は青森の大間で、当時は無名の地名だったが、今ではマグロで有名だ。同じ海で取れたマグロでも、戸井町で陸揚げされたマグロと、大間で陸揚げされたマグロでは、金銭的価値が違ってしまう・・・・・・。

 ま、その記述は蛇足だが、母の妹、すなわち、叔母が、大夕張鉄道の機関車の運転手だった栗田昭作に嫁ぐ前に、夏休みだった鹿島東小学校1年生の私を連れて、戸井村に帰省したことがあった。

 8月の七夕の頃だったが、昼過ぎに雷鳴を伴う夕立となり、家に駆けこんだ。祖父は漁師で、その家には土の土間があった。その土間には、壁に立てかけたコウモリ傘があったが、祖母が、それに絶対触るな、と言った途端、そのコウモリ傘が落雷した。

 光は一瞬で、傘から煙が出た。家そのものは何の被害もなく、コウモリ傘も燃えたわけではなかった。雷というのは恐ろしいなぁ、と実感した瞬間であった。しかし、今でも不思議に思っているのだが、なぜ、家には被害がなかったのだろうか。

 後年、岩波新書で、中谷宇吉郎の「雷」というのを読んだことがある。雷の理屈は一般論ではわかっていても、個々の事象には複雑なものがあるようだ。中谷宇吉郎は、世界で初めて人工雪を作ったことで有名だが、岩波新書では、「雷」の他に「科学の方法」という著作もある。

 啓蒙的な著作としては名著だと思う。しかし、現在では本屋の棚に並ぶことはない。アマゾンで入手可能なようである。

 建築物の防雷は電気工事が担当する。それで、雷関係の専門書を何度か探したことがあるが、良い参考書はない。避雷針という呼称であるが、実際は、突針に落雷させるモノである。

 現在、よく使われるモノとしては、アーリーストリーマー方式の突針があるが、これは、雷雲が近づくと、突針の先に雷雲に帯電しているモノと反対の電荷を誘発させて、突針に落雷させるように仕向けるモノである。フランスの特許だ。

 落雷させるのではなく、帯電している雷雲を追い払うような発想のモノもある。ラグビーボールのような形のモノで、これもフランスの特許である。しかし、このタイプのものを設置するのは滅多にない。

 飛行機にも落雷するようで、落雷の痕がある場合はニュースになることがある。

 私のケースでは、羽田からバンコク行きの旅客機が、雷雲に突っ込んでしまい、すごい揺れと稲光が2時間ぐらい続いたことがあった。

 このときは、想像だが、落雷しただろうと思う。


高橋 正朝 ( たかはし まさとも ) 2017/08/21 _ 08:16:32

昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住


大夕張つれづれ

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