『流れのように』と祖父のこと
『青年の夜学』の原稿のことについては、掲示板でお知らせしましたが、こちらは『備忘録』なので、私の為に、重複する部分もありますが、書き留めていきます。
『青年の夜学』の原稿は、祖父が亡くなったあと、偶然見つけたものです。
祖父は昭和39年札幌に定年退職後、家を建て、亡くなるまで、発寒に住みました。大夕張に暮らした以上の年月をこの地で過ごしました。
祖父は、平成10年(1998年)5月に亡くなりましたが、昭和56年から平成6年までの14年間、「こころの花」という老人クラブの文芸愛好会の会報に、年に3・4回、投稿していました。内容は、家族の歴史を回想したもの、旅行の思い出、身辺の出来事について思うこと等を綴ったものです。
平成7年にそれらを纏めて『流れのように』というタイトルで、(表紙カバー写真は、『昭和26年の夕張岳』!)自費出版しました。
年をとっても朝夕のラジオ体操を欠かさないなど健康維持に努力を惜しまぬ人でしたから、書くことが得意というよりは、むしろ文章を書くことで頭を鍛えていた、というそんな印象です。
祖父が亡くなったあと、家はしばらく、近所に住む私の母を中心に、叔父叔母たちが管理をしていました。まだ、祖母も近所の病院で存命でした。
祖父の家は、私が大夕張から出てきて、結婚するまで、母と弟の3人で、2階の三部屋を借りて、そこで住まわせてもらっていたところでした。
2000年のお盆、祖父の家に行き、懐かしく久しぶりに、2階の部屋に上がって見ると、祖父の机上に綴り箱がおいてありました。ふと見ると、その中に未使用の原稿用紙が重なっていました。
原稿用紙を、何気なくパラパラとめくっていると、中に『大夕張』という字が飛び込んできました。
平成7年に『流れのように』という自費出版した以後も、94歳にしてまだ、書き綴っていたものがあったとは。驚くとともに、その気力に感動すら覚えました。
愚直に、自らの身辺の出来事や、かつての経験を思い出し、まとめていたその姿勢を、自分も、及ばないまでも、せいぜい見習いたいものだと思います。
『ふるさと大夕張2丁目3番地』では、『流れのように』から、大夕張に関する部分を、掲載していきます。記述が重なったりする部分もでてきますが、ご容赦願います。
最後に、嬉しいお知らせ。 9月から、高橋正朝さんの記事がまた読めるようです。どんなお話が聞けるのか、今から楽しみです。