マンガ雑誌と上げ底 |高橋正朝 #8

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 私が鹿島東小学校1年生のときは、我が家では、まだ定期的にマンガ雑誌は買ってもらえなかった。

 生活費の節約のためだったろうと思う。2年生だったときも同様だ。それでも、親の気まぐれで、学年雑誌を2、3回ぐらいは買ってくれた記憶がある。

 東小学校3年生になったら、毎月マンガ雑誌を買ってくれるようになった。

 どのマンガ雑誌を買うのかは、私の自由だった。ただし、1冊だけである。正月、お祭り、お盆には、小遣いをもらえるので、その都度、もう1冊買った。

 姉妹がいれば、少年雑誌以外、少女雑誌をも買ってくれる家庭もあったようだが、それは少数だった。

 親が教育熱心だと、それに学年誌が加わった。

 私の年代は、兄弟姉妹は、3人とか、4人とかが普通で、同級生には、上に、4、5人の兄や姉がいた児童もいた。

 一家の長子が男児だったら少年雑誌、女児だったら少女雑誌と、1家に1冊が普通だった。

 当時は、まだテレビはさほど普及しておらず、明石町でテレビがあった家は、4、5軒ぐらいだった。

 映画産業の全盛期だったが、年端のいかない子どもが、映画を見にいくことはできない。

 ラジオは、どの家にもあったが、流行歌などはともかく、大人が聴く番組などはさっぱりわからない。落語や浪花節などは、子どもは誰も興味を示さない。

 子ども向けラジオ番組で、アパートちゃん、赤胴鈴之助、まぼろし探偵、ビリーパック、などがあったが、当時のラジオだと雑音は相当なもので、セリフがよく聴き取れない。しかも言葉を聴き逃す。

 そういった状況のなかで、子どもにとって最大の娯楽はマンガ雑誌を見ることだった。

 マンガ雑誌は、明石町内の同級生や、近所の子どもたちと、貸借した。発売日は、月始め、7日ぐらいだったと思う。

 当時のマンガ雑誌は、マンガの占める割合は、5割ぐらいだった。しかし、短期間で、マンガの占める割合は雑誌の8割ぐらいを占めるようになる。   

 付録もついており、マンガの付録だけでなく、厚紙で作る戦艦大和なんてものもあった。 それは、少年画報社の「 少年画報 」の付録だったように思う。   

 どの雑誌も、翌月号の予告がでているので、付録が魅力的だと、買う雑誌を変更した。

 光文社発行の「 少年 」の付録て、朱色と、シアン色とでも言うのか、緑がかった青色の2色で印刷された「 鉄人28号 」があり、そのマンガを、赤色と青色のセロファンでてきたメガネをかけて見ると、像が浮かび上がる、というものがあった。

 印刷物のインクの色と、セロファンの色が少し違っていたが、セロファンを透して見る色が、印刷物のインク色と完全に合致したら、多分、絵は浮かび上がってこなかったろうと想像する。すべての絵が浮かび上がったわけではなかったが、結構楽しめた。

 これは、皆さんご存知のように、アメリカ映画の立体映像を見るための方法で、雑誌の印刷物に応用したものだ。当時、何かの雑誌に、その立体映画のことが載っていたのだが、題名も、粗筋の紹介記事も覚えていないので、ネットで検索してみたが、まったくわからない。# 5 「 スイングバイとSF 」に書き込んだマンガの作者、「 切明畑光乗 」の名前を見つけたようにはいかなかった。

 当時は、3D なる言葉はなく、立体映画とか立体映像とか呼んでいた。その当時は、石炭景気で、夕張や大夕張も景気がよかったから、色んな映画か配給されたと思うが、その立体映画が、大夕張まできたかどうかは知らない。

 どの雑誌の付録だったか覚えていないが、銀紙に針を付けたピックアップで、付属していたソノシートの音楽を聴く、というものもあった。ソノシートを手でまわすのだが、ちゃんと音がでた。

 そのうち、工作物の付録はなくなり、マンガだけが別冊付録につくようになった。

 各出版社の販売競争は激しくなり、そのなかで、子ども心に、姑息な手段だなぁ、と思ったことがあった。

 雑誌のページを多く見せるため、本誌の半分の大きさのページを、本誌に挟むのだ。いくらなんでも 1/4 の幅ということはなかったと思うが、場合によっては、1/3 ぐらいの幅のページを挟むこともあった。

 このことは、私と同年代の人たちは覚えていることだろうと思う。

 このような姑息な方法は、おもに、少年雑誌にみられた。少女雑誌にもこういうケースはあったが、少年雑誌ほどではなかったような気がする。

 その時代、菓子折りなどの上げ底などが、ずいぶんと問題にされ、社会問題になり、新聞などのマスコミに批判されていた。

 雑誌の幅より狭い紙を挟んでページを増量するのも、菓子折りの上げ底の行為と大同小異だ。

 しかし、ページの増量行為に対する批判は、ついぞ聞いたことがなかった。

(2020年10月11日 記)


 (筆者略歴)

昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。



1件のコメント

  • 何の懸賞応募か忘れましたが、『少年サンデー』が購読一ヶ月無料(4週間分)という懸賞にあたったことがありました。
    昭和43年、中学校1年生の頃と思います。
    知らせを受けた時は、大喜びで家の中で踊りまくりです。
    気がついたら、窓があいていて、隣のとしボーの家から丸見えでした。
    ガラでもないことをした恥ずかしさに、『穴があったら入りたい』思いをしたことがあります。
    _
    マンガを持ってる子はたくさんいて、小学生の頃、そこの家に入りびったったり、貸し借りをして夢中になって読んでいました。
    でも、子どものお小遣いで定期的に買えるわけもなく、連載ものを読み切るのは、難しかった。
    _
    大人になってマンガは読まなくなったのですが、『伊賀の影丸』『鉄人28号』『サブマリン707』『サスケ』等、当時の連載もので、結末が気になっていたマンガは、全巻揃えてようやく最後まで読むことができました。

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