アパートちゃん |高橋正朝 #9

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 私が、鹿島東小学校の1年生のときに、我が家にラジオがあったかどうか定かでない。

 当時としては、簡単に購入できる品物ではない。2年生になって夏休みが始まるころには、ラジオは茶箪笥の上に鎮座していた。

 NHK 第1放送と第2放送は、わりとよく聴こえたのだが、他の民間放送局の番組は、日によっては雑音がひどくて聴きにくいことが、結構あった。

 受信側のラジオの性能の問題よりも、送信側の放送局の機器、つまり、電波の出力が小さかったのだろう。それがために、太陽のフレア活動が盛んになったり、雷雲が発生したり、自然条件が変わると影響がすぐにでた。3年生ぐらいになると、同じラジオなのに、民間ラジオ放送の音声が、ずいぶんと聴きやすくなった。

 前回、# 8 に、ラジオの子ども向け番組を少し書き込みましたが、それぞれの内容そのものは全然覚えていない。ただし、以下のことを断片的に記憶している。

 『 アパ、アパートちゃん 』と、オープニング曲の最後のほうの小節のメロディと詞である。

 それより前の、大部分の歌の記憶は、スッポリ抜け落ちている。番組内容は、もちろん覚えているわけがない。

 アパートといえば、このラジオ番組が放送されたころ、代々木町のアパートは、すでに完成していたのではなかろうか ?

 マンガの主人公の絵の記憶は、赤いリボンをつけ、赤いスカートをはいている、小学生になったかならないかの少女だ。妹が誰かから借りてきた単行本のハードカバーの色刷りの表紙がそうだった。ネットで探ってみたら出てきた。

 集英社発行、「 おもしろ漫画文庫 」と銘うって、『 小崎政房∶原作、松沢のぼる∶画 』となっている。さらに、ニッポン放送連続放送劇と、惹句がある。

 同じネットのクリップのなかに、小学館発行、「 小学四年生 」の付録のアパートちゃんもでてきた。

 表紙には 滝沢みち子 とクレジットされている。この絵では、少女は、たしかに、小学4年生ぐらいの印象を受ける。リボンは赤い水玉模様だが、スカートは赤い。こちらのほうの表紙の惹句は、ニッポン放送連続ドラマとなっている。

 滝沢みち子 というマンガ家はまったく知らない。ただし、この本と同じものかどうかは知らないが、上記の 松沢のぼる が描く主人公よりも大人びた『 アパートちゃん 』のマンガも読んだ覚えもある。そのマンガが、滝沢みち子 が描いたものだったのが、ネットに紹介された本の表紙の写真で、薄っすらと記憶が誘発された。

 ネットでは、他に、講談社発行、「 少女クラブ 」の付録で、寺尾知文 という人が描いた『 アパートちゃん 』もあり、こちらの惹句は、ニッポン放送ラジオドラマという表現になっている。

 このマンガの表紙も記憶があるので、内容はまったく覚えていないものの、一応は読んだのだろうと思う。

 私は、子どものころは、少年マンガであろうと、少女マンガであろうと、はては、大人用の小説雑誌に載っていたマンガまで手当たり次第に見ていた。しかも繰り返し見ていた。マンガであれば、何でもいいという感じだった。

 勉強には、まったく関心を向けなかった。

 『 アパートちゃん 』は、マンガが原作でなく、ラジオ番組をマンガ化したものと推察される。

 出版3社が、『 アパートちゃん 』をマンガ化しているくらいだから、かなり人気があったのだろう。私は NHK の番組だったと思っていましたが、ニッポン放送だったんですね。

(2020年10月8日 記)


 (筆者略歴)

昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。


2件のコメント

  • 私は1949年5月生まれ。ものが少ない時代。我家にラジオが来た日のことは良く覚えています。
    確か小学校2年の時、ある日、父が「ラジオを買おう」と言い出した。家族に異存があるはずもない。
    駅近くの電気屋さんに一緒に行って、何にも包まないラジオを両腕に抱えて家に持ち帰った。
    あまりに嬉しくて、ラジオを抱えている父の腕にぶら下がったりしながら家に戻った。
    眩しいくらいに晴れた好天の日だつた。
    ラジオは故障もせず活躍した。
    私が30歳を迎えたときも机の上にあって、緑色の目を光らせながら深夜放送を届けた。
    そして、一度も故障することがないまま、役割を果たし捨てられた。
    既にトランジスターの時代。真空管ラジオの大きさはもう邪魔でしかなかった。
    それでも、ナショナルの文字の入った6本の真空管は、何時か来る?出番をじっと待っている。

  • 昭和31年生まれなので、漫画は、『少年サンデー』『少年マガジン』
    月刊誌は『少年』『少年画報』の時代だと思います。
    わずかに、『冒険王』の記憶も。
    自分の記憶にはっきりと残っている漫画で最初のものは、多分『鉄人28号』でした。
    ラジオから流れたという『赤胴鈴之助』は自分の経験か、あとで記憶にすり込まれたのか、定かではありません。
    「アパートちゃん」の漫画も当時目にはしているのかもしれません。
    戦記物や、ロボットものを好んで読んでいた気がします。
    『鉄人28号』は、テレビも毎回見ていて、「グリコ・グリコ・グリコー」のOPは、耳にこびりついています笑。
    その『鉄人28号』もラジオドラマで放送されていたことがあったようです。時代ですね。

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