昭和38年頃 白銀橋

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 明石町から、当時『開拓』と呼んでいた鹿島白金地区へ向かう橋。『開拓へいく』といったらこの橋を渡っていくというのが、自分のイメージ。

 大夕張ダムの建設に伴い、大夕張中の多くの橋が架けかえられましたが、この白銀橋も昭和34年に、奥鹿島開拓地に通じる木製のつり橋が水没することになったため、その補償として架設されたものといいます。

 架設されてまだまもない白銀橋のようです。昭和43年の落橋の前の橋。

 夕陽が西側の欄干の影を長く伸ばす午後。『ハイク』を終えたグループが橋の上を街にもどります。自転車を押す子と、グローブを持っているらしき子は、白金の子か、帰り道だろう。

 めぐる山々 足音しのばせ秋がくる(中略)ハイクに釣りに好シーズン大夕張よいとこ炭坑町よ ・・・大夕張音頭の一節が頭にうかびます。

 行楽を終え記念写真の、手前の大きな籠に、ゴザが、懐かしい。今ならリュックにマット。後ろから来る人の手には、よく見るとヤカンらしきものも。

 仕事が休みの一日、白金地区の清流に癒やされて、大人たちは、また日々の仕事に戻っていったのでしょう。

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