「ヒマラヤ天兵」と「めくらのお市物語」 |高橋正朝 #19
鹿島東小学校5年生のとき、「 おもしろブック 」に「 ヒマラヤ天兵 」というマンガが連載されていた。
作者は「 棚下照生 」。
タナカ•テルオ と読ませる漢字の名前としては大変珍しい。 テレビドラマにもなったらしいが、大夕張で視聴できた番組だったかどうかは知らない。
このマンガが連載中に、雑誌の名前が、「 おもしろブック 」から「 少年ブック 」に変更になった。 出版社は、「 集英社 」。
変更になった理由は知らないが、雑誌の名前をスマートな印象にしたかったのかもしれない。
後年知ったことだか、「 小学館 」の名前で出版したくないものは、系列の「 集英社 」から出版することになっていたらしい。
出版界の一方の雄、「 講談社 」も「 光文社 」がある。学習雑誌や絵本を出す出版社が、くだけたものを出すわけにはいかない、ということだったらしい。
しかし、今では、「 小学館 」発行の「 週刊ポスト 」、「 講談社 」発行の「 週刊現代 」というふうに、出版物のカテゴリーの区別に神経質ではなさそうだ。 それぞれの週刊誌のカラーグラビアに、ヌード写真を掲載しているもんなぁ ••••••。
話がそれてしまったが、「 棚下照生 」の名前は「 痛快ブック 」のマンガで知っていたが、「ヒマラヤ天兵 」というマンガで、久しぶりに見た名前だった。
このマンガが1年間ぐらい連載して終了してから、「 棚下照生 」の名前はパタッと消えてしまった。
20才ごろ、東京のラーメン屋で、ラーメン食べながら、芳文社発行の「 週刊漫画TIMES 」を読んでいたら、「 棚下照生 」が描いたマンガがでてきた。 懐かしい名前だった。
マンガの題名は、「 めくらのお市物語 」。 「 座頭市 」のネーミングから拝借した題名だろうと思い、大して期待もせずに読んだが、案に相違して面白かった。 テレビドラマ、「 こと姫七変化 」に主演した「 松山容子 」が、映画化された「 めくらのお市物語 」で、やはり主役の「 お市 」になり、数話シリーズ化されている。
「 おもしろブック 」に連載していた「 ヒマラヤ天兵 」もそうだったが、絵がうまく、ストーリーもうまいマンガ家だ。 だからすぐに映像化されたのだろう。
「 寺田ヒロオ 」と「 棚下照生 」の名前を見ると、いつも 芳文社 が発行していた「 痛快ブック 」を連想し、次いで、岳富町の火事を思い出す。 何やら、三段論法みたいだが ••••••。
この2人のマンガ家は、生まれも育ちもまったく違っていたが、「 学童社 」が発行していた「 漫画少年 」の投稿仲間だったらしく、終生の付き合いだったらしい。
しかし、棚下照生 は、群れるのを好まない人物だったらしく、有名な「 トキワ荘 」に関わる人たちのエピソードには出てこないようだ。
昭和23年11月大夕張、明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。
以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。
私的には、ボンカレーのおばさんとしてその名を留めた松山容子。
高橋さんの文章から、あらためて女優としての活躍を目にしました。
『おんな座頭市』かっこよかったんですねえ。
その縁で棚下照生と昭和45年に結婚していたことを知りました。
また、『琴姫七変化』での琴姫役も人気があったようで、その番組を見てチャンバラごっこで遊んでいた小野さんの投稿を『夢の街』-『思い出ばなし』に掲載しました。