鹿島中学校科学クラブ ゴーカートづくり| Kawauchi Masami
鹿島中学3年生の時、科学クラブに入りました。
クラブは、2つに分かれていて、化学と物理学で、私は物理学部でした。
3年生の時、文化祭で、2サイクルエンジン ・4サイクルエンジン・ロータリーエンジン、の仕組みを紙に書いて貼り出した事が有りました。
覚えていないかなあ・・・当時、化学部は水素に誤って火を近づけ、フラスコが爆発して、怪我人が出ました。
この時、物理学部では、ゴーカートを作ることにして、設計しました。
エンジンは、中古のスクーターのエンジン。
動力伝導は洗濯機のVベルト。車輪のプーリは、子供の三輪車のゴムを外して使う。
タイヤは、一輪車の4つ。シャーシは木で作る予定でした。
物理学部に、500円の予算が降りました。
部品集めに、雑品屋に行って探しました。
お目当ての物は見つかりましたが、500円の予算では、買うことが出来ず、諦めた事が有りました。
このゴーカートのエンジン、スクーターは、遠心力クラッチで、回転を上げれば、走る物でした。
また、取り付けも、普通のバイクは取り付けの穴の位置が上で、ぶら下がっているタイプで、取り付け出来ませんでした。 スクーターのエンジンは下の台に取り付けるタイプで、下に取り付ける穴が、空いていました。
動力の伝達も、Vベルトでした。このエンジンは、計画前に加川写真館の裏に有った雑品屋で見つけていました。
キックして、プラグに火が飛ぶのも確認してました。値段も、確か 300円。 一輪車のタイヤは、確か50円で、予算の500円では作る事は出来ませんでした。
そのせいで、今、ゴーカートに乗っているのかも知れません。
公道を走れるゴーカートを見た時、抵抗無く、すぐに買いました。
(2020年12月9日 記)
(筆者紹介)
昭和29年6月生まれ。三男として 南清水沢で生まれ、2歳の時、緑町に、のち春日町で18歳まで大夕張で暮らす。昭和48年、一時大阪へ転出するが、昭和50年帰郷、南大夕張鉱業所ヘ就職し、平成2年3月の閉山まで勤務