崖のジャンプ台-春日町 直心の坂-
昭和35年頃 代々木町から春日町にかけての坂道を利用したジャンプ台
崖のジャンプ台。
今さんのアルバムから掲載させていただいている写真の中の一枚。
『崖のジャンプ台』は、春日町の詰所裏のジャンプ台の写真ではないでしょうか。
これまで話に聞いていたジャンプ台が写った写真と思われます。
昭和30年代ここで飛んだ豆ジャンパーも多かったんでしょうね。
リキシンの坂
飯田さん、このジャンプ台は、詰め所裏のとは違いますね。
詰め所裏のにわかジャンプ台の下は、大きな広場がありました。
春日町には、昭和36年くらいまで二つのにわかジャンプ台がありました。
春日町の地図を見て思い出していますが、この写真は、代々木町へ上る「リキシンの坂」と言うのがありましたが、上りきったあたりの下あたりではないかと。
地図に有る”佐々木””大友”さんのところの崖では。
このあたりにも、冬になるとジャンプ台を作って、皆で遊んでましたよ。
どれもスコップの手作りで、15m~20mくらいは飛べたかな?
それにしても、この写真懐かしいですね。
右の家の軒下に、とうきびが乾してありますよ。
積雪も今とは違うのでは?
特設ジャンプ台。
代々木町に住んで居た時代、春日町に向け、ジャンプ台を作り飛んで遊んでいました。
自分は苦手で飛びませんでしたが 足の骨 鎖骨を折る子供も居ました。
リキシンの坂を馬橇が横切る為、ジャンプが中断され、力の有る馬も 重いソリを引くにも中々 坂道も上がり切れませんでした。
バクロのおじさん、中々力の出せない馬の尻に、ツルハシを刺したと言う事も有ったとか。
直心の坂
『りきしんの坂』、私もはっきりしませんでしたが、『じきしん(直心)の坂』。
ともいっていたと思います。
坂の下の川沿いに独身寮がありました。その名称が直心寮(じきしんりょう)というのだと聞きました。
我が家はちょうど坂の上の代々木町2丁目の6番地の5舎でした。
雪の深いときは、端っこの便所の屋根を、上坂にしてジャンプ台を作った時もありましたね。
豪雪の時?
いやぁー、昭和30年代中ごろは、毎年が豪雪でしたね。
崖のジャンプ台は、ちょっと位置関係がはっきりしませんが、春日町の地図に今さんが2軒ありますね。
近いほうの軒下から撮ったのでしょうか?ここがそうでしたら、小林さんのいうよりもちよっと上の方だと思います。
ちょうど坂の真ん中より上くらいでしょうか。
チョイ上には畑と電柱があって邪魔でしたから。(我が家のジャガイモ畑でした)
左上に行くと坂の上ですね。そこには春日町への急な近道もありました。
泊川さんのいうように坂を馬そりや車が通ったら中断でした。
ジャンプ台は、直心の坂を横切って作っていたので潰されてしまい、そのたびに補修をするのです。
写真の一番上が、道を横切ってるジャンプ台でしょうか、その上に代々木町8番地くらいに続く上坂(アプローチ)が作ってあったと思います。
ちょうど、直心の坂の道のへりを、馬の背にしていたんですね。
確かに、崖下まで20mくらいのランデングバーンはあったでしょう。
そして、何人かは怪我をし、足を骨折した子もいました。
私も少しは飛びました。が、ほんとうに崖下に落ちる感じでした。
当時のジャンプスタイルは、手を伸ばしてました。
この直心の坂をそりでも遊びました。
引き戸のレールを引いた一人用の手づくりの小さなそり、5cm幅くらいのステンレスのレールをつけた5~6人くらい乗れる大型のそり・・・いやぁー、すごいスピードで粉雪の上、がりがりの凍った雪の上をビユン、ビュン滑り降りました。
もー、目から涙がでてましたね。子供心に怖いときもあったのを思い出します。
近所のガキ大将たちが小さい子も乗せてすべるんですね。でも、楽しかった思い出です。
そして、とうきびの種、我が家も玄関につるしてありました。
ほんとうに懐かしい写真です。
↓昭和38年、代々木町、坂の上から見た、春日町。
リキシンの坂登り切ったとこより、詰め所側の崖に あったにわかジャンプ台です。
今、佐藤さん宅あたり・・購買会、豆腐屋、米や街などに行くための 詰め所裏より近道の坂がありました。
購買会前、詰め所裏が一番大きくて、次に大きかったのがここ、リキシンの坂横切ってというのもあったな。
小学校まではここで スコップで手入れしながら遊びましたね。
中学からは、神社下スキー場のジャンプ台が練習場所でした。
ちなみに ”リキシンの坂”のいわれは、全く分からないです。
それにしても 良く残ってた写真ですね。