1978年・大夕張・再会 |斎藤敏幸

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 私は、閉山の前年に当たる1972年3月に夕張東高を卒業しました。


 閉山後両親は、函館に居を構えました。

 そのためか、大夕張に帰る機会もなく数年が過ぎてしまいました。


 大夕張と再会できたのは、1978年の7月でした。

 当時私は、釧路に住んでいましたが、職場の研修で札幌に出た時、帰ることができました。


 その頃は、大夕張の夢をよく見ました。夢から覚めると、たまらなく会いたくなったもの
です。

 バスが明石町を過ぎたあたりから、あれ程軒を連ねていた炭住は既になく、町は原始の姿に戻りつつあるように見えました。


 終点の大夕張でバスを降りる人は、3人ほどでした。


 バスを降りてから、あちらこちらと思い出の場所を歩きました。しかし、18年間生まれ育った故郷でありながら、違和感みたいのものを感じていました。


 懐かしくはあるのですが、以前と違って溶け込んでいけないのです。


 既に両親も転居し、知人も離散してしまった後では、落ち着ける場所が見つからないのです。

 そんな時、池田食堂に立ち寄ってみました。こちらの長女の方とは同級生で、何度か遊びに来たこともありました。


 食堂はまだ営業していました。おばさんは、私のことを覚えていて下さって、色々と「その後」の話をしました。


 ビールを飲みながらそばを食べて、支払いを済ませようとするとおばさんは、

「これが、故郷の味だよ、元気で頑張るだよ」

と言って、お金を受け取ろうとはしませんでした。


 バスを降りて以来感じていた違和感が、ここで一気にほぐれるのを感じました。


 池田食堂のおばさんは、今もご健在かと思いますが、再会できる機会があれば、改めてお礼を言いたいと思います。
 
 帰りのバスの窓からは、小高い丘にそびえ立つ東高の校舎が見えましたが、陽に当たり輝いていたのが印象的でした。


 今は、東高の校舎も、池田食堂(建物は残っているようです)もありませんが、これが1978年の、私と、大夕張の再会でした。

(1997年9月11日 記)


随想

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