食憶(その4 小学校の給食)|長谷川潤一
斎藤さんのところで鹿島小学校の解体の写真は、みんなショックだったという話になり、鼓笛隊などの思い出話をしました。小学校にちなみ、給食の話しなどを。
ちょうど私どもが入学の折りに給食は始まりました。
一年生から給食を食べたというのは、私どもからということらしいです。当然今と違って自校式ですからして2時間目の終わりぐらいから、ホワホワと廊下などに本日の献立 (小さな黒板に書いてあった) のいい匂いが、階段づたいに漂ってきたものです。
よく憶えているのはカレーシチュー、五目ラーメン、アサリシチュー (クラムチャウダーとは言わない) などです。
それとコッペパン、たまーに、黒コッペや角食2枚、きちんと金・銀紙に包まれた雪印バターや六甲マーガリン、ソントンや耳輪印の小さいパック詰めのジャムやスプレッド類、さくらのボール頭をねじ切って出すチューブ入りの蜂蜜など。
牛乳も、最初は180の瓶でしたが、途中でテトラパックになり、さらに栄養アップということで、青帯の200の瓶になりました。
冬になるとストーブの上の大きな蒸発桶に、ぎっしりと並べて入れて、ホットミルクにしましたね。これもたまーーに、コーヒー牛乳やフルーツ牛乳などが出ました。
牛乳の蓋で遊んだりしましたね。蓋に書いてある森永恵庭工場というのはどこなんだろうと、ずーっと思っていたら、今現在、恵庭に住んでいるですね。これがまた、食べ物の因縁は怖いですねー?
天候や冬など道路事情が悪くなって、森永のトラックが来れなくなると、クラスに二つ、でっかいポットでココア風味のミルクが出ました。
雛あられや柏餅、ショートケーキ、紅白饅頭なども出ました。
出るといえば、コッペパンの北沢食品さんは今も清水沢の道路沿いに看板が出ていますね。好き嫌いのある子はいませんか? きれいに食べないとだめですよ! いつもおかわりするとボクのように、こーんな大きな子になれますよ! わたくし現在91㌔です、はい。
鹿島小学校と給食室は永遠に不滅です!! なんか寂寥感がないなー・・・
斎藤さん、無事出所の際には腰に手を当てて、一緒に牛乳で乾杯しましょ!
(1999年11月21日)