雪崩れに閉じ込められた少女 | 高橋正朝 #28

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 これは、テレビ番組で、三菱電機1社の提供によるディズニーの記録映画だった。

 正確に言うと、当時、この番組の時間帯は、本来なら、プロレスの実況放送だった。プロレスの実況中継がないときは、代替として、主に、ディズニーの番組を放送していた。ディズニーの作品とはいっても、マンガ映画を放送することはほとんどなく、記録映画が多かった。我々の年代と年上の人たちはご存知だと思う。

  

 まだ、アニメという言葉は一般的に使われてなく、『 東映動画 』の名称の影響からか、アニメーションの意味で、『 動画 』という言葉が時たま使われていた。しかし、まだまだ、『 マンガ映画 』という表現が普通だった時代だ。

 ディズニーのマンガ映画は、著作権と配給権の問題からか、当時では、テレビで見ることはなかった。

  

 プロレスの放送がないときは、ディズニーのマンガ映画を期待していたのだが、肩透かしをくらった感じで、記録映画やマンガ映画の制作場面などを見させられた。

 マ、それらを見たくなければ、テレビのスイッチをオフにしたり、チャンネルを他の放送局にすればいいわけだが ••••••。

       

 この時代、プロレス人気は凄まじかった。

 それで、プロレス中継が放送されないときは、ガッカリしたものだった。我々団塊世代と、年上の少年はそうだったが、少女たちはどうだったのだろうか ••••••。

   

 プロレス放送がないのにはガッカリしたが、代替番組のディズニー作品も、それなりに楽しめた。

 それらの番組では、部分的なシーンを覚えている。

 番組のなかの説明によると、ディズニーの会社では、動物を飼育していることになっていた。ディズニーランドがあるから、動物の飼育は、別に不思議ではない。

 しかし、ここでの説明は、マンガ映画の製作のことだった。作画者は、仕事に空いた時間ができると、そのときの仕事に無関係でも、興味があれば、マンガ映画製作のエリアで飼育している動物をスケッチする、という説明があった。番組のシーンでは、数人が、ゾウを囲んで、スケッチしていた。

 別な日の番組は、ロッキー山脈に住んでいる白人一家の生活を追ったものだった。何人家族であったかまでは覚えていない。番組のなかでは、1人の少女にスポットライトを当てていた。少女は12歳ぐらいか ••••••。

 この番組では、ドキュメンタリーの体をとっていた。

 冬になると、少女は、登校するのにスキーで行くのだ。スキーは上手で、下る場面が続く。ときには、カメラは、ジャンプする少女を仰望する。察するに、学校は、少女の住んでいる家よりも下にあるのだろう。かなりの距離があるようだ。

   

 ある朝、少女は、いつものように、家族に声をかけ、登校するために、元気にスキーで出掛けて行った。

 しかし、少女は、その日は登校しなかった。

 学校の先生は、少女は風邪でも引いて欠席したのだろう、と軽く思った。アメリカといえでも、山脈のなかでは、各戸はまだ電話を引くことができない時代状況だった。

 夜になると、家族は大騒ぎになった。

 翌日は吹雪でどうにもならない。

 次の日は快晴になった。

 大勢の人が、少女の登校経路に1列横隊となって棒を雪に差す。少女は雪崩れに閉じ込められたのだが、捜索前日に吹雪になったため、雪崩れがあったのかどうかも人々にはわからなかった。

 しかし、雪に埋まっているだろう、と見立てた。こういった捜索のシーンをみると、少女の家と学校とは、相当な距離があると推察できる。

 捜索隊は、注意深く棒を差しながら探索する。そのうち、男性の1人が雪に差した棒に、そこに埋まっていた少女が気づく。少女はしっかりその棒を握り、棒が抜けない、ということで、少女が発見されることになったわけだ。

   

 この番組を見ていた人は、次のシーンも記憶していると思う。 少女が雪崩れに閉じ込められた場面が、断面で映るのだ。棒をしっかり握るところの断面シーンも、である。

 ドキュメンタリーの体をとってはいたものの、これでは創作である。

 もっとも、ディズニーのこの番組は、ドキュメンタリーとは銘打ってはいなかったように思う。ドキュメンタリーだと思ったのは、アナタの誤解デス、ということになるわけだ。

 アメリカ映画は、冒頭シーンで、『 これは真実である 』とか、『 これは真実をベースにしている 』とかいうキャプションを入れてることが、今でも結構ある。

 1950年代の映画で、北極で原子爆弾の実験をやり、ゴジラもどきの怪獣が出現し、アメリカ本土に来襲する、というのがあった。その映画の冒頭シーンにも、やはり、『 これは真実である 』というキャプションが入っていた。

 これなどは、ワッハッハで笑い飛ばせる。

 しかし、ワッハッハで笑い飛ばせないケースもある。

   

 続きは次回。

  

  (2021年2月27日 記)


(筆者略歴)

昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。

   


1件のコメント

  • ウォルト・ディズニーと記録映画、そしてプロレス、そのあたりの記憶を解き明かしていくといろいろ出てきそう。
    ひっかかるものはいろいろあるなあ。
    高橋さんの連載で、記憶の糸口をたどり寄せながら、ネットで調べて見る、ということが増えてきました。
    『ディズニーランド』金曜日の午後8時、プロレス中継と交互に日本テレビ系列で放送されていたという。
    日本では、1958年~1972年にかけて放送された。
    そういえば、力道山や、ジャイアント馬場が活躍したのも、こちらの日テレ系でみていたんだ。『四の字固め』『空手チョップ』の必殺技がでると興奮していた。
    中学生のころになると、TBS系列で放送されたプロレスをよく見ていて、こちらは、冬の千年町児童公園や空き地で、友達とビルロビンソンの『人間風車』を雪の中に相手を放り込んで、ゆきだらけになりながら、技をかけまくっていた。楽しかったなあ。
    _
    話をディズニーに戻すと、ウォルトディズニーの司会が印象深く残っている。この前振りで、今日はどんな冒険に案内してもらえるのだろうか、といったわくわくした気分になった。
    続いて、ティンカー・ベルが、TV画面の四分割された国の中から一つを選ぶのだけれど、『未来の国』『おとぎの国』『冒険の国』『開拓の国』の中でも、自分は実写より漫画が見たかったので、漫画でなく、実写系のものが放映された時は、「ああ、はずれだな」と感じたことが多かったかもしれない。

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