八百五十のゲレンデ(2)

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昭和30年 八百五十のゲレンデで。山の向こうに山、山がつらなる。

大夕張の山 八百五十のゲレンデ

八百五十 【飯田雅人】(2021年3月12日)

 私が過ごした大夕張に八百五十(はっぴゃくごじゅう)と呼ばれる山があった。

 海抜850メートルの山だから八百五十とよばれている、と小さい頃から聞かされていた。

 住む人たちには、山スキーなどで親しまれ、その雄大な景色は、当時、大夕張で広く歌われた『大夕張の歌』の4番の歌詞にもなっている。

  

 父や母,叔父など私より少し上の年代では小学校のスキー学習などでもよく登ったらしい。 父は啓心寮の友人達と休日には、よく山スキーを楽しんでいたという。

 私と同年代でも、小学校や中学校の授業では行ったことはないが、スキーの上級者や、行事などで、この山でスキーをしたという方は数多くいるようだ。

 私が過ごした15年間、この山に登った記憶はなかった。夏にせいぜい理科の自然観察などで小学校の裏の宝沢を少し登ったところで、理科の地層の授業だかをした記憶しかなかった。

 その鹿島小学校の裏の沢の先の尾根をたどって初めて八百五十の頂に立つことができたのは、2005年の春先のことだった。

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