終着駅の奥村チヨ -大夕張にやってきた芸能人-
2022-10-04
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昭和47年(1972年)の夏、UHBの開局記念番組のロケ時の写真。
大夕張駅ホームで、鉄道の職員の方々と共にパンタロン姿の奥村チヨ。
奥村チヨが歌う当時のPVのような映像がyoutubeに出ていた。(今は削除されみることができない)
前半、雪の積もる駅構内から、駅を出てくる場面で、貼ってあるポスターに「夕張」の文字がちらりと見える。
『あの頃の夕張をもとめて』というサイトに、この映像をもとにした画像とともに記事がのっている。
昭和37年(1962年)に公開された松竹映画「あの橋の畔で」という大夕張ダムでロケをした一場面の画像などとともに、こちらの奥村チヨの「終着駅」が紹介されていた。
前半の駅構内の風景は「紅葉山駅」、駅舎の中と駅前の場面は、「滝の上駅」だそうだ。
終着駅のイメージが強い奥村チヨだが、大阪生まれで、北海道には縁がない。
「終着駅」を作曲した浜圭介は、旧満州生まれで札幌育ち。
他に北原ミレイの歌った「石狩挽歌」という曲を作曲した。
雪が舞い、冬の厳しさを感じさせる曲は、どこか故郷に通じるものがある。
1974年に浜圭介と奥村チヨは終着駅が取り持つ縁で結婚した。
当時、高校生だった自分は、毎朝バスで通う北一条通りに面したその教会で、二人が式を挙げたというニュースを聞きながら、故郷のことを思い出していた。