明石町番外地 その2 |高橋正朝 #34
【 明石町住宅地図 】
【 対岸から見た明石町 】
【 東高の丘から 】
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私が投稿した文章との照合のため、飯田さんが編集した イラスト/写真 を、コピペしました。
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【 東高の丘から 】の写真からは、明石町の標高を認識するのは難しいが、シューパロ川の対岸から撮った写真、 [ 対岸から見た明石町 ] は、住宅地域の高低が分かりやすい。
カメラを水平に保持しているから、道路の左側が低く、右に行くにしたがって徐々に高くなっているのが分かる。
明石橋の一部が写るようにしているので、位置関係も明瞭だ。
12時の方角に東高があり、6時の方角に明石町の低部が写り、かつ、明石町の対岸の一部が写り込んでいる。
この明石町全域を俯瞰した写真のおかげで、明石町の高低の特徴が理解できる。
シューパロ川の、この部分は急流ではない。 だから、川に対しての、崖の高さからも、地域の高低差が推し計れる。
明石町駅や番外地が、他の住宅地域よりも、高い位置にあるのが推測できる写真だ。
ところで、6時の方角にある、シューパロ川を横断しているものは何でしょうか? 私が明石町に住んでいたとき、ここまできたのは、小学生時代の10回ぐらいのもんでしたが、当時からあったような気がする。
給水管でしょうか?
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前回の書き込みで、補筆してから投稿しようと思っていたものを、そのままメールしてしまいました。
それほど重要でもないので、次回、すなわち、今回、その内容を書けばいいかと、モノグサをしました。
その内容とは、以下です。
明石町番外地の、小林さん 宅の後ろには、何も描かれていませんが、実は、もう1軒家がありました。
私が4歳ぐらいのときにその家に住んでいた人の名前は覚えていませんが、母親同士が大変仲が良かった。
その後、アキノさん 一家が引っ越してきた。 サトシちゃん という同い年の少年がいて、大夕張の幼稚園に一緒に通っていた。 同級生にはならなかったが、鹿島東小学校にも通ったが、程なくして、彼ら一家は引っ越していった。 引っ越し先は知らない。
その後は、子どもがいない、山本さん ご夫婦が引っ越してきた。 その後、2回ほど住人が代わったが、それぞれ子どもがいたかどうか、記憶がまったくない。
小林さん が住んでいた家は、引っ越してくる前までは、その家には 栗山さん 一家が住んでいた。
栗山さん は、大夕張の購買会の鮮魚売り場で、ゴムの前掛けをして、注文された魚を、手鉤で取り選んでいる姿を、何回か見かけている。
栗山さん は、オートバイで通勤していた。 私の父親よりも、オートバイを購入したのは早かった。 男児が2人いて、長男は、私より3歳ぐらい下で、シズオちゃん といった。 弟のほうの名前は覚えていない。 栗山さん 一家が大夕張に引っ越した後に、小林さん が引っ越してきたわけである。
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。
明石町番外地の住人の方のお話、その二。まるで、近所のおばさんたちが、4、5人集まって、「あの人は、どうしてる?」「こんなことしてる」・・・「そうかい」隣近所の様子や、移動者の消息など、世間話をしているような、そんな光景が連想されます。それもあの当時の大夕張の日常の風景でした。
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写真を見ながら、明石町の土地の高低の話を読むと、とてもわかりやすかった。写真、明石町の川にあるのは、確か浄水場に水をあげるための給水塔だったと聞いた記憶があります。
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このあまりにも川に近い住宅地の写真を見ていると、今から20年程前、夕張市の図書館で、当時の新聞の記事から大夕張の記事を探していたら、明石町の子どもの水の事故の記事がでてきて、現代と比べると、そういった面での安全策などあまり考慮されていなかった時代性などを感じて、複雑な心境になったことを思い出します。