春日町住宅の親父|Kawauchi Masami

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昭和40年頃の冬

白黒写真に着色した画像
お茶を飲む父

 春日町の長屋、3つ部屋が有ったうちの、真ん中の部屋、藤木ストーブであったまりながら、お茶を飲んでいます。

 藤木ストーブに鉄瓶が見えますね。

 藤木ストーブの後ろには、釜が、藤木ストーブの後ろの蓋を外して、入れてあります。

 ウチでは、これで常にお湯を沸かしていました。

 また、テーブルに、みかんが、見えるので、一月頃でしょうか?

 ストーブの置く台、『炉ぶち』と、言ったでしょうか? タイル張りでした。

 藤木ストーブの後ろに、石炭箱が有りましたが、丁度見えません。しかし、石炭箱のジュウノの柄が、見えます。

 

 親父の後ろのふすまを開けると台所があり、流しが有りました。

 流しの下には『室(ムロ)』が有り、木の板で蓋をしてました。

 ところで、親父のはいているのは、お袋が手編みした、ももひきです。同じ物、子供達にもお袋は、編んでくれました。

 当時のお母さん達、毛糸の手袋や靴下、編んでくれましたね。手袋なんか、片方、無くさない様に首から下げる様に、毛糸で紐を編んで、縫い付けてくれました。

  

 下は、真ん中の部屋から押し入れの方を 撮影した親父の写真です。

白黒写真に着色した画像

 春日町の長屋は2軒長屋で、それぞれ、端っこの部屋には押し入れが有り、太い柱が横になっていました。上が押し入れで、下に1m20cm位空間が有りました。

 小さい時、よく頭をぶつけたのは、私だけでは無いと思います。

 この図は 2軒長屋の大夕張駅向きとシューパロ川向きです。

 私の家は 川側の方でした。床の間を境に、同じ作りで、それぞれの端に、長い押し入れが有りました。

 トイレが、隣り合わせになっていて、隣の人が入って来たら息を潜めた物でした。

  

『床の間』の有った部屋が、私の部屋でした。

 押し入れの見える写真が有ります。

 右の障子を開けると、トイレ行く前に玄関が有りました。

 廊下のようになっていて、そこから流しへ行ける戸が、付いていました。

 ウチは 戸にスプリングを付けていて自然に締まる様にしていました。

(2021年4月15日 記)


思い出の記

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