大夕張生協

18608

 昭和48年閉山の夏。

 閉山直後に撮影された写真は、『ふるさと大夕張』に掲載されていたが、これらの写真は、鹿島小学校郷土室にあった写真。

 郷土室にあったそれらの写真の説明では、『閉山により街の姿が大きく変わることを予想し、記録を留めておくために鹿島小学校の先生が撮影してまわった』と書かれていた。

 このうちの一枚だろうか。

 夏休みを利用しての撮影だったのか、生協の玄関前で立ち話をしている女性二人もノースリーブだ。

 しかし、陽射しは弱く、雲が低く垂れ込めてどんよりとした重苦しい天気だったことが写真から伝わってくる。

 

 左手前に『寿し 栄』の看板が見える。ここを境に、鹿島旅館・池田屋食堂、そして道路を挟んで、荒川商店という店の並び。

 『駅前商店街から大夕張駅』の写真は、この写真の中央の位置に見える自転車と、鹿島旅館前に駐車する自動車の間の道路中央あたりから、大夕張駅に向かってシャッターをきったものと思われる。

 そちらの写真では、『寿し栄』の看板の裏には、『ときわ』と書かれている。撮影した時期が違ったのか、看板の裏表でそれぞれ違う店の名前が書かれていたものなのか、謎である。

  

 

白黒写真に着色した画像
『大浦貞助』の看板。大夕張炭鉱労働組合の幹部を務め、昭和46年の道議会選挙で当選した。

 鹿島旅館前にウィンカーをつけて停まっている車は、日産の初代バイオレットだそうです。

 1978年販売開始された車です。

 

 『駅前商店街から大夕張駅』は次のリンクから。

1件のコメント

  • 夕張岳が姿を見せないこんな日は、本当に雲が低く感じたものです。

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