駅前商店街 サンワ・十八番
鹿島小学校郷土室の写真の中の一枚。
鹿島小学校郷土室の中には、多くの写真が保存され、展示されていた。
その中に、大夕張の街並みを写した一連の写真のシリーズがあった。
そこには、「炭鉱が閉山になると聞いて、昭和48年の夏、鹿島小学校の先生たちが、街がなくなってしまうかもしれなという気持ちで、写してまわりました」とキャプションがついていた。
そのシリーズの写真には、特徴があった。
大夕張に住んでいた頃、よく経験したことだが、天気の悪い日には、低く垂れ込めた重い雲が夕張岳と周りの山々を覆い隠し、限りなく憂鬱な気持ちにさせらた。
夏だというのに、そんな日に撮影されたと思われる白黒写真たち。そこにも、どんよりとした雲が低くたれ込め、古く陰影の深い古い街並みが写っていた。そして、閉山という言葉から受ける印象で、見ている自分の気持ちを、より一層重苦しいものにさせた。
そのほかにも、「閉山直後」とされたシリーズもあった。(鹿島小学校の郷土室を訪れたのは、1998年の閉校式直後のことであり、すでにメモも記憶も残っていない。)
東側に夕張岳が写っているが、夕張岳に厚い雲がかかっている。このシリーズの写真には、大夕張駅方向を写したものがあるが、神社の山の方、八百五十も厚い雲で覆われている。
ただ、自分は陰鬱な気持ちで大夕張の街を見たくない。なので、カラー化する際には、少しでも青空をのぞかせ、明るさを出すことに努めた。
空のニュアンスが若干変わっているのは、そのためだ。
生協の店の前に停まっている自動車は、トヨタカローラ。1970年5月にフルモデルチェンジされた二代目。セダンとクーペがあったが、こちらは2ドアセダン。
1972年に、2年落ちのクーペが、中古車で42万円だったそうだ。
見にくいが、よく見ると『十八番』の後ろの、白い看板に『純』と見える。文字の色は紫色の文字だったそうだ。同じ字体で、店舗の日除けテントに『純』の文字が見える。ここは、『喫茶純』の入り口で、2階にホールがあった。昼は喫茶、夜は、酒類も提供していたそうだ。
もっとも自分は入った記憶はなく、駅前通りを通ると、『喫茶純』の文字に、なんとなく大人っぽい憧れを感じ、気になっていただけだった。
鹿島旅館前には、『大夕張生協』の写真にも写る日産の初代バイオレットが停まっている。
昭和40年代、私が住んでいた町内でも自家用車が持つ家がチラホラ出てきた。トヨタカロ-ラと、姉妹車のスプリンター、日産のサニーが、よく見られた車だった。当時自動車のCMとともに印象が強い。
下は、航空写真の建物配置に昭和45年の大夕張の駅前商店街の地図を当てはめてみた地図。
棟と入居する店が一致するようにしてみたが、合っているかどうかはわからない。
まして作っておきながらなんだが、このページの店(昭和48年)とスズキ洋品店(サンワ)と生協の三軒の様子がかなり異なるようにも感じる。 そんなわけで、何かを思い出すための参考までに、ということで。