三菱バス 大夕張営業所

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昭和43年頃、新塗色のバス(左)と、旧塗色のバス(右)

 炭砿(ヤマ)内を走るバスは。山内線、山内バスと呼ばれ、『中学校前行』と『明石町行』があった。

 自分の記憶の中では、山内バスというと、写真にある右側の『灰色』中乗りのバスを連想する。

 

 もともと始発は、『礦業所前』だった。小さい頃は、よく礦業所前で乗り降りしたが、その後、『車庫前』が始発になった。

 

 昭和43年4月、自分は鹿島中学校に入学した。

 中学校へ通い出して間もない、ある日、『大夕張駅前』から乗ったことがある。

   

 『大夕張駅前』から乗ったのは、当時富士見町3丁目に住んでいたからだ。一番近い停留所が、『大夕張駅前』だった。それでも鹿島小学校まで歩いて行く距離とかわらない道を歩いた。

 その日は、大雨だった。だから、普段なら通学で乗ることのないバスだったが、親に回数券をもらっての乗車だったのかもしれない。

 大夕張駅前のバス停留所には、大勢の中学生がいた。その中でバスを待っていると、やがて駅前通りを、緑町詰所でゆっくり曲がり停車した。

 中乗りのドアに、中学生たちが、一斉に集まり、だんご状態になった。

 『バスを待つのに並ぶ』などという習慣などまったくなかった。(さすがに、帰りの便の『中学校前』始発便では、先生たちがバス停に立ち、中学生達を並ばせていた)ちなみに、札幌に出てきてからも、私の身近かでバス停で並んでいるようになったのは昭和50年頃のことだったように思う。

 

 体を捩られ、全身、持ち上げられたような感じで、足下の乗降口ステップを踏んだかどうかの感覚も定かではなかった。

 気がついたらバスの中にいた。

 密集した車内で、周りを背の高い二年生、三年生たちに壁のように取り囲まれ、入学したての自分は、その中で小さく身を縮めていた。その上、雨の日の湿り気が多い空気の中、周りから漂ってくる思春期特有の汗のにおい・・・。

 それは、テレビのニュースで見る『通勤通学ラッシュ』という言葉に、初めて想像を巡らせた出来事だった。

 

 

kawauchi-masami
kawauchi-masami

普段,、通学では乗らない、山内バスも、強い雨の日は☔️ 私は、『代々木町』から乗りました。
大夕張の緑町、停留所でもう満杯になり、次の停留所『岳富町』や、『宝町』の停留所を、クラクションを鳴らして、止まらないで走った時も有りました。

(2021年5月11日)

 

Masa
Masa

そういえば、そうでしたね。

今思えば乗り切れなかった人たちどうしていたんでしょうね。山内線は、札幌線と違い、何台も続いて走っていなかったような気がしますが。

(2021年5月11日)

Kawauchi Masami
Kawauchi Masami

バスにおいていかれた人達は、多分、文句を言いながら、歩いて雨の中 通学したのでしょうね。

今の時代でしたら、ちょっとした問題になるでしょうね。

な〜んとなく、雨の日は、バスが2台来た様な気もします。

定かでは有りませんが・・・。

(2021年5月11日)

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