昭和44年 鹿島中学校文化祭 2年D組『西部開拓』

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 昭和44年(1969年) 鹿島中学校文化祭 仮装行列 2年D組。『西部開拓』

 写真に着色しながらあらためて一人一人確認していったが、驚くべきことに、小学生のころまでの写真と違い全員の名前と顔を覚えていた。中学生ともなると、さすがに人間関係も濃密になるからか。

 二年生の担任の斎藤宏先生が、新採用二年目で受け持った学級、それだけに思い出深いと、いつだったかお話されていた。

 生徒たちとの年差も7、8才しかなく、バスケットが得意なこともあり、どちらかというとみんなの『兄貴』のような空気があった。

 その斎藤先生を中心に、写真に写っている34名の生徒・・・、「?あれ、もう少しいたような気がする」と思って、卒業文集の住所録を見てみると、卒業時には、41名載っている。鹿島小学校から一緒だった子の顔も見えない・・・。どうしたんだろう・・。

 場所は、鹿島中学校の校門の方に向かって写した集合写真。写真を大きくしてみると、女の子の後ろの方に、常盤町の高い所にあったブロック住宅と、できたばかりのNHK中継所のアンテナが見えている。

 純白のドレスをまとった女装役の貴婦人二人は、スポーツマンのKくんと、背が高く体格のよいSくん。ご本人達の気持ちはともかく、あえてのミスマッチが面白く大笑いした気がする。

 自分は最後列にカウボーイ役で写っている。顔に墨で大きく黒い髭を描いている。 写真には見えないがカウボーイハットを首紐で背中にかけている。

 後年、映画『幸せの黄色いハンカチ』で武田鉄矢が、カウボーイハットを被っていた。両側のつばが丸められていた。それが、当時のはやりの被り方だったのだろう。

 栄町商店街の衣料店で帽子を買ったと思うが、その買ったばかりのカウボーイハットは、つばは丸まっていなかった。 自分も「あやつける」ために、当時、一生懸命両側のつばを丸めてクセをつけていたことを思い出した。

  

 そのカウボーイハットを被って友達とよく遊びにでていたような気がするが、何をしていたのかは、さっぱり覚えていない。中学生が散歩・・・・とはいわない。きっとぶらぶらしていたんだろうな。

 

白黒写真に着色した画像
鹿島中学校グラウンド。校門側の出入り口のあたり。

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