北夕炭砿
三菱大夕張鉄道『遠幌~南大夕張間の沿線にあった炭鉱』の一つです。
『ふるさと大夕張』には、奥山さんの解説を掲載していましたので、それを再度転載します。
北夕炭鉱 【奥山道紀 】(2002年11月20日)
清水沢から列車で大夕張炭山へ向い遠幌を過ぎた辺りに、二つの石炭積込みポケットがあります。
最初のは北菱鹿島炭鉱、南大夕張寄りのが北夕炭鉱のものです。
どちらも夕張川の対岸に事業施設を持ち、石炭は索道やベルトコンベアで運ばれてきました。
この写真は北夕炭鉱のものですが、索道により石炭が運ばれている様子が判ります。
のちこの索道もベルトコンベアとなり、中小炭鉱ながら昭和45年まで操業が続けられました。
「山史鉄道編・三菱大夕張鉄道沿革史」には下記の記載があります。
札幌鉱山株式会社が、北夕鉱業所を開坑、
昭和24年9月16日より 5粁388米地点に、専用岐線と積込ポケットを新設、石炭の積出を開始、
昭和27年3月18日 夕張炭砿株式会社北夕鉱業所と社名変更。
後昭和33年5月頃 炭況悪化のため一時閉山問題も起りしが、よくこれを再建、年産6万屯を輸送せり。
開坑当初より運賃支払方法に関し後払契約を締結しおりたるが、昭和33年10月1日これを解除、現払又は拓銀小切手をもって取扱いたるところ、出炭好調で経営安定の兆あり、更に当社買付炭の関連もあり、
昭和38年9月1日より再度後払の契約を締結せり。
我がヤマの炭鉱マン 【村田 哲男】
私が、昭和30年より勤めた、我がヤマの積込みポケットと、索道バケットは懐かしい写真です(昭和32~3年の撮影?)
写真下部中央の人物は、私が入社時の独身寮の先輩のMさんです。
長身のあのスタイル、風采は当時「送炭係」だった彼を思い出します。
現在76歳で頗る元気で、東京都内に在住。再来月(6月中旬)の会合に出席されれば、さぞ喜ばれることでしょう。
我々の会合では、互いに古い写真等を持ち寄るのが、以前からの慣習になっているのです。
(平成17年4月5日 記)
平成17年6月18日開催の、われ等のヤマの炭鉱離職者の懇親会で、この写真の人物とお会いしました。
約50年前の、この写真を見て、本人も撮影時の記憶は無いが、自分であることは確かであり、本当に懐かしがられ感激されていました。
この方は、背景の施設(索道設備)と共に青春時代を過ごした炭鉱マンでした。
この電子媒体と、その提供者にも感謝の意を述べられていたことも、私より申し添えておきます。
(平成17年6月26日 記)