春日町と栄町のくらし|小林俊治
鹿島春日町45番地?詰所のすぐそばの家に住んでいました。(昭和29年生~昭和42年まで)
当時は、子供同士なぜか、広場に集まるのが日課で、知らないうちに毎日違った遊びを考えて、遊んでいました。
今考えると、川向こうの沢に入って、ヤマメ釣や川泳ぎをしていましたが、熊に会わなかったのが不思議でした。
小学生のときの写生で、大夕張神社から見たこの山の紅葉は今でも美しく心に残っています。
冬は、詰所の広場の裏のがけで、単板のスキーを履いて、プレジャンプをして遊んでいました。
春日町は、屋根の雪降ろしが大変でしたし、雨漏りや鼠の徘徊がいつも年中行事のようなものでした。また、断水が頻繁だったので、台所にかめをおいて水を溜めていました。
当然、鼠がそこに落ちて、死んでいたこともあった。 台所の排水溝を覗くと、ねずみが居たりする。 鼠との格闘が毎日続く。
へびもよく来ました。
特に詰所でアオダイショウを発見します。
冬の雪降ろしや、雪はねは、休日家族総出で行わなければならない。屋根からすべって落ちたり。
栄町に移ってから、中学へ行きました。
栄町のブロック住宅(2階建)に移りました。鉄扉を開けると左には石炭を入れる物置がある。右には水洗トイレがある。
画期的だった。トイレットペーパーとのご対面。但し、断水も多かったので、何かと不便なときもあった。
ですから、いつもバケツに水を溜めておく。鉄筋コンクリートの建物なので、最初のうちは自分の家を間違えて、よその家に入ってしまったりもした。
石炭は背負い子のようなもので運びます。(パートの方が)灰は各住宅の脇に捨てる。
1階と2階の間ぐらいの高さに溜まってきたら回収されます。11月ごろ?になると窓から大根を干していた。(漬物の準備をしていた)
プールは、7月下旬から9月中旬まで泳げ、近いこともあり、夏休みはほとんど泳ぎに行っていた。
夕方以降はコースにロープが張られ、鹿島中の水泳部員が練習していた。(私もその一人だった)コーチは藤本さんでした。
日没と同時に終了。 ロープをまとめる。
プールの有刺鉄線の塀は公園側から、人が掴まって見るせいか、その方向に傾いていた。
浄化設備はないので、水はあまりきれいではない。ぼうふらを見ることもある。
冬の夜、スキー場の方を見るとナイターの灯りに照らされ、滑っている人影が見える。
(平成9年11月8日記)