鼓笛隊 |石原賢治
思い出帖の中に鼓笛隊の写真が掲載されています。
私も、昭和43年当時所属していました。
確か4年生から入部出来たのではないかと思います。
低学年の頃は、運動会ですとか、何かの行事ですとかで、パレードする姿を見て、とてもまぶしい気持ちで眺めていました。
子供心ながらに、クリ-ム色のベレー帽、まっ白のシャツにエンジ色のネクタイ、水色の半ズボンに、これまたまっ白の運動靴にハイソックス。とてもおしゃれな服装だと思いました。
入部の理由は覚えていませんが、何かあか抜けした事でもやりたかったのだと思います。
最初は皆、縦笛と言いますか、リコーダーをやったと思います。
それから上級生になるにつれ、別の楽器をあつかわせてもらえたと思います。
リズム系の打楽器である大太鼓とか、中太鼓、小太鼓やシンバルといったものや、メロディ-系のアコーディオンとか、ピアニカという楽器があり、それぞれ希望して、使わせていただいたと思います。
6年生の女子は、バトンといって楽器でなく、バトントワリングを出来たと思います。
出番は、先程、記したように、運動会ですとか、交通安全の行事ですとか、卒業式の演奏だったように、記憶しています。
夕張市内の小学校の鼓笛隊の大会があったような記憶もあります。
そういえば、大夕張に初めて横断歩道橋が出来た時も、盛大な?渡り初め式がありまして、その時は制服なしの普段着でパレードしたことが有りました。
今、小学校で音楽教育のレベルアップもあるのか、いきなり吹奏楽なんていうのをやっているようです。クラリネットですとか、フルートですとか、本格的な楽器を、小学生たちが堂々と演奏している姿に、時代の差を感じます。
ところで、あの「思い出帖」の写真に、自分が写っている姿を見たときは、恥ずかしいやら、何やらで思わず顔を覆いたくなりましたが、こんな時代もあったのかなどと妙に開き直って、まじまじと見直しております。
ちなみに、6年生の時には指揮棒をふっていました。
(2000年9月10日 記)